ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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佐田坂

 

佐田坂の前説

佐田坂、それは言わずと知れた紀伊半島を周回する国の根幹を成す押しも押されもせぬ主要国道42号線において、数ある路線変更の歴史の中でも最も数奇な運命を辿った区間として名高い難所である。また険しい断崖で綴るリアス式海岸を繋ぐR311が全通した今も、暇人以外のほぼ全車両の通行が常となる不動の大動脈だ。現在の佐田坂に対する旧道とは、評議峠と小阪峠を繋ぐ何とも心許無い峠道であるが、実は佐田坂の開通当初も現在とは違った姿形をして世に登場しているのだ。昭和24に全線開通に漕ぎ着けた佐田坂の路面は当然ダートであり、今よりも幅員はぐんと狭かった。現道の傍らに当時の残骸が今でも木陰に隠れる形で点在しており、それを踏破する事で矢ノ川ロイヤルファミリーの知られざる一面が見えてくる。真の佐田坂を知らずして矢ノ川峠は語れない。普段は猛スピードで駆け抜ける急坂で、僕は腰を据えて大捕物の詰めに取り掛かった。

 

佐田坂

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尾鷲方面へ向かうにあたり、熊野を発ち最初にぶち当たる難所が、松本峠と呼ばれる牛馬及び人の通行のみを許す熊野古道であり、それは明治中期評議峠と小阪峠を縦走する車道が開通するまで、数百年単位の長きに渡って使われた由緒正しき街道である。覇権を奪われた熊野古道であるが、その後も隣村への重要な通路である事に変わりはなかった。

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だが大正14年に木本隧道が松本峠直下に貫通するや否や事態は一変する。それは荷車や馬車どころか、大型自動車にも対応した現代にも通ずる完全なる道路隧道だったからだ。ややくたびれ加減のレンガ隧道ではあるが、凹凸のある内壁には、コンクリ吹き付けによる薄化粧が施され、途切れる事なく配置された蛍光灯によって、夜間でもまるで昼間のような明るさを保っている。

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そこを現在一方通行道路と余裕のある歩道という組み合わせで、市道として再雇用された木本隧道が、昭和39年まで国道42号線を名乗っていたのがまるで嘘のようだが、竣工から80年以上経った今も現役の道路として活躍している。峠としては三代目、車道としては二代目の鬼ヶ城トンネルが、現在も引き継いだまま使われ、ややお疲れ気味ではあるが、新トンネルの噂話はまだ聞こえてこない。

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鬼ヶ城トンネルを抜けると、佐田坂へと通じるバイパスが大泊の町内を迂回する形で、近代的な高架橋を渡している。それひとつとっても佐田坂が激的な進化を遂げている事は明白だが、佐田坂の改良工事は今でも止まる事を知らない。開通当初は春秋に富む期待の新道として登場した佐田坂であるが、地形的に無理があるのか改修に次ぐ改修を余儀なくされ現在に至る。それはまるで絵に描いた餅とならぬよう必死で辻褄を合わせているかのようだ。

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沿道には陸のテトラポッドかと思えるほどの巨大なコンクリ塊が連続して見られ、また強引に山肌を削り取った壁面には、気が遠くなる程の高さより備え付けられた落石防護ネットが連続する。今でもそれらは付け替え工事が頻繁に行われ、登坂車線の増築も完全ではない事から、昭和24年に大々的に世に登場した現ルートの佐田坂は、いまだ完成の域に達してはいないのが現実だ。そこに開通当初の面影を色濃く残す貴重な区間がある。

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旧道の切れ端はいずれも車両を寄せ付けぬ末期的な状態にあるが、土砂と薮によって閉ざされたその区間が、銘板の残る平石橋の存在により、昭和44年3月までの約20年間に渡り現役であった事を知る。開通当初の佐田坂は目視で計る限り、完全な二車線ではなかったようだ。それでも完全一車線の評議ルートに比べたら格の違いは歴然で、ドライバーの負担が大幅に軽減されたのは間違いない。

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佐田坂にいくつか残る旧道の切れ端で、完全なるダートのまま残る貴重な膨らみを見つけた。今では犬も食わないこの砂利道を、当時は誰もが歓迎し、史上最強の路線バスも毎日のようにこの坂を越えたのだ。全てがアスファルトの下に埋没したとばかり思っていた開業当時の佐田坂は、その痕跡を僅かばかり残し今に伝えた。

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