ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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古江峠

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古江峠の取扱説明書

日豊リアスラインと呼ばれるこの国道は、目の覚めるような切り立った岩で構成される奇岩と、それとは相反する惚れ惚れとする美しさの砂浜が交互に現れ、得も言われぬ海岸美を魅せるリゾートラインであるが、昔の道となるとそれはそれは険しい難所の連続で、県下でもトップクラスの酷道として名高く、それは木立畑の浦峠線と名付けられた砂利道の林道が、実はかつての国道であった事からも明らかで、当路線においては小粒で地味な存在の古江峠ではあるが、トンネル開通以前はそれなりの覚悟で挑まねばならなかった酷な道である事は今も昔も変わらない。そんな古江峠の今を訪ねてみた。

 

古江峠

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当路線もトンネルに次ぐトンネルのラッシュで、とうとう大分との県境を残して難所と呼べる場所はなくなってしまった。大概はその事を素直に喜び歓迎する所であるが、僕はひとり旧道が誕生した事に喜びを感じていた。あまりに険しいその地形に、かつて交通の要となったのは海上交通、所謂船での輸送であり、自動車大国と呼ばれる以前の日本は造船国家であった事からも、それは至極当然と

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言える。ひとたび内陸に目を向ければ、そこは鉄道の天下であり、陸上交通の覇権は街道から鉄道へと完全に移行し、それが宗太郎峠を越える事で、海岸沿いのひなびた漁村は置き去りにされ、陸の孤島と化した。となるのが一般的だが、ここはちと違うのだ。その昔からこの界隈では海上交通が発達し、各漁村を定期船が連絡、物資を運搬していたのである。だが道が全く無いという訳でも

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なかった。ただしその規格たるや、人や馬がやっとこさ通れるほどの、今で言う登山道のようなもので、自動車を通す云々というレベルとは程遠いものであったという。現在網目のように広がる林道群はそのほとんどが戦後生まれで、近年になって急激な勢いでジパングロードの毛細血管が発達した事になるが、それらとは対照的に太古から存在したとされるのが古江峠だ。道中は枝葉のように

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無数に伸びる戦後生まれの林道群を従えて、普通車同士の離合が不能な狭路をえっちらこっちら登ってくると、やがて鳥居が見えてくる。そこで左手から真新しい舗装路が接続しているが、そのT字路の目と鼻の先に古江峠はある。現道との分岐点である古江隧道の直前には巨大な鳥居が立っていて、古江峠に至るには絶対にそこを潜らねばならぬ仕様となっているが、まさか現道時代から

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存在した訳ではあるまい。初めての訪問者はそれが旧国道なのか、単なる神社への参道なのか判然とせず、少々戸惑ってしまうかも知れないが、どちらも兼ねているのでご安心を。峠直前のT字路を左折すると神社があるので、初詣など時期によっては参拝客で今でも賑わうのかも知れない。古江峠は切り通しの完全1車線路で、かつてはここを路線バスや大型車も当たり前のように越えて行った

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のだろう。峠を過ぎればすぐに左カーブを描き直進は斜面になっているが、そこには古江峠のシンボルとも呼べる1本の巨樹が天を仰いでいた。まかり間違って直進したとしても、恐らく転落は免れる。それほどの胴回りを有する樹は、辺りを見渡しても他に見当たらない。樹齢からして古江峠に自動車が通される以前の事を知っているのは間違いない名木であるが、峠を越さねば気付かぬその巨樹を

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目にする事なく、今ではほとんどの車両が、鳥居側から進入し、同ルートを戻って行くに違いない。というのは峠より先の下り側が、登り側より距離にして2倍以上の長さがあるからだ。単純に時間も2倍ならまだ良いが、体感はもっと長く感じ、かつての酷道ぶりが如何なく発揮される普通車同士の離合が困難な狭路であり、今ではよっぽどの物好きしか通りそうもない寂しい道程であった。

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