ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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第12号洞門

★★

 

第12号洞門の取扱説明書

津軽半島の突端に幾つもの穴を穿ち、後に国道昇格へと導いた最北の海岸道路。三厩竜飛間に見られる洞門は第5号に端を発し、隧道名はその前後を必然的に意識させるものであったが、何故かここに至る過程で銘板に見る数字と洞門数とが一致せず、それはつまり開削による消滅であると考えられる訳だが、消失した洞門がどこに位置しているのか、また三厩竜飛間に突かれた洞門の全体数は幾つなのか等の情報は不明のままである。数字のみ振られた謎の銘板だけを残し、他に何も語ろうしない国道339号線の洞門群。銘板に見る数字を連番と仮定するならば、第11号洞門を確認した時点で11箇所の洞門を潜られねば嘘だ。しかし現実として十指に足りてはいない不可解な点を解明すべく潜った第12号洞門にて事態は大きく動き出す。

 

旧版第12号洞門1byORR

道路専門サイト:ORRの道路調査報告書

第11号洞門と向かい合う形で現国道脇に口を開ける次なる洞門へと足を踏み入れる。洞門番号の序列は三厩側から配されており、第11号洞門より竜飛崎側に位置する隣の洞門は、銘板を確認せずとも当然第12号洞門という事になる。とは言いつつも念の為銘板を探すのだが、結論から先に言ってしまうとこの洞門の

旧版第12号洞門2byORR

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どこにも銘板は見当たらないのである。並走する現国道を通す際に洞門の一部が削がれてしまい、その時銘板も一緒にトゥギャザーしてしまったのかも知れない。階段国道の代替ルートとして県道281号三厩停車場竜飛崎線が津軽半島周回国道の不通区間を補っている訳だが、県道と国道の分岐点より先の竜飛漁港までの

旧版第12号洞門3byORR

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間に現在トンネルはひとつも存在しない。あるのは現道の傍らに佇む過去の遺物。そこから読み取れる情報はたったひとつ。かつて三厩竜飛間に複数の洞門が存在した事。他に何も情報が無い中で、前後に残る洞門と銘板のセットは貴重だ。第11号洞門が現存するお陰で銘板を持たぬ第12号洞門の底が割れたのだから。

旧版第12号洞門4byORR

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そしてこれより先竜飛漁港へ至る間に道路トンネルは新旧を問わずひとつも確認できない。つまりここ第12号洞門が連番のしんがりにあたり、洞門数は全部で12箇所であったと結論付けられる。しかし洞門を潜った先には意外なものが待ち受けていた。それは現道の平凡な壁面に飾れた第13号洞門の銘板である。

旧版第12号洞門5byORR

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それは失われた洞門の墓標であると同時に、竜飛崎に見る洞門群が12箇所では収まらない事実を露とした。いったいこの地に幾つ穴を開けた?その悲痛な叫びに第10号洞門の銘板が応えてくれた。「その昔、この道は山道を通り、岩から岩へ波の合間を縫って飛び、岸壁をよじ登りまた、岩門に穴を開けその穴に

旧版第12号洞門6byORR

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ヒバ丸棒を差し込みその上に板を乗せてと危険を冒しての通行、それが昭和のはじめまで龍飛崎の路であった。当時(大正末期〜昭和初期)宇鉄漁業組合長であった牧野逸蔵氏はそのころ盛んに行っていたアワビ採取事業によって得た莫大な益金で大正12年にこの道路の開削に着手し、昭和4年9月に

旧版第12号洞門7byORR

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完成したのがこのアワビ道路でその時にできた洞門が「13の洞門」ですが、現在は「親子洞門」をはじめ8つの洞門より残っておりません。」第10号洞門は跡形もなく消失しているが、そこに残された位牌からは洞門の出生に関する赤裸々な史実が浮き彫りとなった。この情報を元にいよいよアワビ道路の真実に迫る!

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