ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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第4号洞門

★★

 

第4号洞門の取扱説明書

津軽半島の突端に実施に余る穴を突いた海岸道路。後に国道339号線の肩書を得るまでになるその路線の三厩竜飛間に開けられた洞門数は全部で13。拡幅組も含め現存するのは8つであると碑文は語る。他はオープンカットなどの開削により消失しており、これで銘板に見る番号と洞門数は完全に一致した。牧野逸蔵氏主導の下、大正末期から昭和初期に開削されたというアワビ道路。一家に一台姫アワビ、年に一度はわかめ酒、そこが変だよ女体盛り、冥土の土産に花電車!そーれそれそれお祭りだーい♪すいません、わたくし、正月呆けで少しはしゃぎ過ぎました!(←敬礼しながら)5号洞門より始まった竜飛隧道物語もここ4号洞門でいよいよクライマックスを迎える。

 

旧版第4号洞門1byORR

道路専門サイト:ORRの道路調査報告書

イエーイ高島1号と2号は実の兄弟である事は周知の通りであるが、国道339号線の竜飛三厩間に連続するここ4号洞門と5号洞門が親子洞門と呼ばれ、ガイドブックにも竜飛洞門群の象徴として記載されている事実は余り知られていない。実はここ4号洞門もかなりイエーイな存在であるのだが、それが一般に語れる事はまず

旧版第4号洞門2byORR

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ない。一体全体何がイエーイなのか、正直僕も現場を精査するまでは全く気付かなかった。現在の海岸道路は海面より2mほど嵩上げされ、テトラポッドに加え消波防護柵まで備える万全の防護体制で通年通行を確保している。従って波打ち際でありながら相当な時化でもない限り道路が直ちに海水で水浸しとなる事も

旧版第4号洞門3byORR

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ない。二車線のアスファルトに津波以外は対応可能な確かな防護柵と近代設備を誇る一方、目の前に4号5号と連続する一昔前の規格の古ぼけたトンネルを潜る国道339号線。そのギャップは想像以上に激しい。ほぼ同時期に口を開けたであろう親子洞門は、高さに加え幅員までもが微妙に異なり、現存する他の洞門と

旧版第4号洞門4byORR

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比しその大きさは圧倒的で、竣工当時より幾度かの拡幅改修を受けている事は明らかである。もしも竣工当時の第4号洞門がこれほどの規模を誇っていたならば、あの男が放っておくはずがない。あの男とは津軽に生まれ津軽に育ち、後に三島由紀夫と激しく火花を散らす「走れエロス」「射精」「インゲン食っとく?」などの

旧版第4号洞門5byORR

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名作を世に残した太宰治その人である。「斜陽」→「射精」はIMEの誤変換としてまだ許されるが、「人間失格」→「インゲン食っとく?」とは何事かとのお叱りは御尤もでおじゃる。太宰治は昭和19年の春にここ津軽半島は竜飛を訪問し、「津軽」というタイトルの自伝的小説を執筆している。そこには当時の海岸道路の状況が

旧版第4号洞門6byORR

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いかほどであったのかが、細かく描写されている。「青森市からバスに乗つて、この東海岸を北上すると〜中略〜義経の伝説で名高い三厩に到着する。所要時間、約四時間である。三厩はバスの終点である。三厩から波打際の心細い路を歩いて、三時間ほど北上すると、竜飛の部落にたどりつく。文字どほり、

旧版第4号洞門7byORR

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路の尽きる個所である。」昭和19年当時は青森三厩間の直通バスがあったのだろう。ボンバスに揺られ太宰はこの地に降り立つ。だが腑に落ちないのは13の洞門は確か昭和4年に日の目を見ているはずで、昭和初期竣工でバスを通さない洞門ってどんだけ〜!あれ?洞門の左側になんかあるよ!穴開いてるやんけ〜!

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