ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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北山隧道

★★★

 

北山隧道の取扱説明書

岐阜の中心部から琵琶湖の畔を掠め若狭湾に至るまで複数の国道と絡み合いながら紆余曲折の山峡路を行く国道303号線。中でも般ピーをそう簡単には寄せ付けぬ山岳国道として話題に事欠かないのが八草峠であり、それが当路線の代名詞的存在である事は周知の通りである。今でこそ改良に次ぐ改良のお陰で鳴りを潜めるかつての酷道であるが、置き土産の一部に当時の凄惨な様子が見て取れる。現トンネルとは似ても似つかぬ風貌の北山隧道。それは市販の地図を食い入るようにして眺めなければ気付かぬほど小さな穴。そこへ足を踏み入れたが最後、否応なく昭和中期の香り漂う別世界へと引きずり込まれるのである。

 

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予てから気になっていたトンネルがある。それはとても小さな穴で、地図上では見過ごすのがデフォルトと言っても過言ではないほど目立たぬ地味な存在の北山隧道。地図上でイメージした通り新旧トンネルはほぼ並列に口を開けていた。単純に両者が比較可能なゆえに、その落差は驚異的ですらある。

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パッと見大型車一台がやっとの小さな穴と、大型車同士の内部離合が楽勝の新トンネル。出口が見えぬほどの延長を誇る高規格トンネルに対し、早くも対向の明かりがこちらまで漏れ届いてしまう短距離の初代。単純比較しただけでも並列する両者の違いは決定的であるが、この似ても似つかぬ風貌の二つの隧道が同じDNAを持つというのだから開いた口が塞がらない。

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新北山トンネルの開通が昭和52年12月で、その時点において当路線は既に国道303号線を名乗っている。当然バトンは北山隧道から新北山トンネルへと渡される訳だが、当路線が国道303号線に指定されたのが昭和45年。つまり新トンネルが開通するまでの7年間はこの恐ろしく頼りない北山隧道が、堂々と主役を張っていた事になる。

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日本海側と結ばれているとはいえ、八草峠によって長らく分断されていたに等しい状態の国道303号線。長大トンネルが開通するまでは越境してくる車両もまばらで、ほぼ途絶に等しい極小交易であったからこそこの隧道一本で捌けたという現実がある。それにしてもバスが来たらひとたまりもない狭さで、歩行者さえ安心できる幅員にない。

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いったい北山隧道はいつの時代に突かれたのだろうか?その答えが坑門に埋め込まれた銘板にあった。昭和14年6月30日竣工。これは戦前の年代モノではないか!見れば坑門はその断面を斜めにカットされながらも複数の装飾を身に纏い、コンクリ隧道でありながら昭和中期の量産タイプとは明らかに異なる意匠だ。

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笠石とリングアーチはこれでもかと言うくらい極太で、アーチ環には迫石を見立てた出っ張りまで配し、扁額は道隧山北と逆さ字で綴られる。インパクトには欠けるが控えめながらもしっかりと個性を主張し、時代がレンガや石組みから脱皮したばかりの、まだ装飾を意識する移行期に産声をあげた北山隧道。

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竣工から実に70年を迎える立派な古隧道というだけでなく、土木技術やデザインの進化を辿る上で、大変貴重な土木遺産である事は間違いない。旧道は揖斐川沿いの1.5車線路をのらりくらりと進むが、この旧国道が県道271号揖斐峡公園線としていまだ現役路線である事を付け加えておく。

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