ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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横山隧道

★★★★

 

横山隧道の取扱説明書

天下分け目の関ヶ原の戦いは余りにも有名だが、その古戦場跡は平凡な水田地帯となっていて、かつてそこで歴史的な戦が演じられた事など微塵も感じさせない風光明媚な田園風景が広がっている。関ヶ原は天下を分けるだけでなく、東西の文化を隔てる境界線のような役割も果たしていた。尾張の西に位置する城下町大垣から緩やかな峠を越え、琵琶湖岸に悠然と構える彦根・長浜の両城下町へと辿り着けば、そこには隧道ワールドが広がっている。そこで僕が目にしたのは、紛れもないレンガ隧道であった。

 

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

岐阜と滋賀との県境である関ヶ原付近はどう見ても峠には見えないのだが、これがなかなかどうして八草峠から始まり国見峠、伊吹山と縦走するアルペンルートは関ヶ原付近で一旦標高を大きく下げるが、鞍掛峠・石博峠・武平峠・鈴鹿峠と続く列記とした東西を隔てる壁であり、飛行機の無い時代に地上からそのウィークポイントを見抜いた先人達の眼力には、今更ながら感心してしまう。

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道路だけ見れば峠らしさを感じない関ヶ原付近も、冬期は新幹線のダイヤが唯一乱れる場所で、岐阜羽島と米原間で東海道新幹線のダイヤが乱れていますなんて頻繁に耳にする。ただ不思議なのは隧道を突く必要もないほど緩やかな峠を越えた先の平野部に、何故か隧道が群発している事である。とは言っても地図上では平地に見える箇所も実際に現地へ行ってみれば、想像以上の山に囲まれていたりなんかする事も珍しくない。

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ここもそうだった。真新しい2車線路に導かれたその先には近代的な大断面を有する立派なトンネルが口を開けている。その脇にはつい最近まで現役の道として使われていた旧道らしき道筋が延びていて、その勾配から峰越えを果たそうという気はさらさら無いようだ。緩やかに駆け上ったその先には確かに穴が開いている。

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道路脇には記念碑が建立されているが、旧道上からその姿は確認できない。今にも消えそうな左側の斜面に付けられた人道を登り詰めた所に石碑はあるのだ。その先に見える坑門は近づくにつれ、徐々にその姿をあらわにした。なんとそれはレンガ隧道であった。白化が進み陽射しの加減もあって表面の色がとても赤茶けたようには見えなかったが、そこにあるのは紛れもないレンガ隧道であった。

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上から笠石、扁額、帯石リングアーチに立派な門柱まで備え、勿論表層にはオールレンガが嵌め込まれている横山隧道は紛れもない極上物だ。石組みの門柱は上部が笠石を突き出し、神殿風の威風堂々とした姿はまさに男性的で、レンガ隧道としてはキングの称号を与えても差し支えない極上物件である。内壁もレンガ仕様で、竣工当時からほとんど変わらぬ姿を保っている。

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内部は大型車1台なら楽勝で普通車でもギリギリ内部離合が可能な幅員を有している。完成度の高さから大正時代のものと推察する。尤もそれ以前はテボッチャーで、明治の頃から使われていた可能性もある。何故なら横山隧道を抜けると琵琶湖畔の長浜城へ通じているからだ。この道が県道に指定されていた事と重厚な坑門を見る限り、ここが昔から重要な街道であった事は疑い様がない。

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坑門を抜けるとそこにも石碑が建っていた。ほとんど手が付けられる事なく今日まで至ったのは立地条件の成せる業か。交通量のそう多くない片田舎の目立たぬ一般県道というポストがそれを後押ししたに違いない。もっと日の当たる花形路線であったならば、今日までこの姿を維持できたかどうかは疑問だ。横山隧道の資産価値はかなりのものであり、観光資源として県や市には有効活用してもらいたい。

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