ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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酒津隧道

酒津隧道の取扱説明書

鳥取から米子にかけて穏やかな表情の海岸線が車窓に見え隠れする国道9号線。鳥取や北条といった我が国でも1、2を争う砂漠のような巨大砂丘を筆頭に、飽きるほどの砂浜に囲まれた凡そ障害物とは無縁の同沿線において、唯一の障壁となったのがここ酒津地区の断崖路で、白兎海岸より浜村へ至る区間で多少難儀を強いられた様子が線形に見て取れる。一線を退いてからだいぶ日が経つが、今尚市道として活躍中である酒津隧道の今をご覧頂こう。

 

酒津隧道[ORRの道路調査報告書]

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

意識的に舵を切らなければ自然と現道のバイパスへと吸い込まれてゆく中、僕だけが明らかな目的を持って車列から離脱し、ほぼ同規格ながらも若干頼りない二車線路へと飛び込む。現道はすぐにトンネルを迎えるが、こちらの二車線路は一旦山陰本線と並走する形で水尻池の畔を掠め、下りに転じればそれはもう日本海へと飛び込まんとする勢いで、海岸沿いへと滑り降りる。コンクリが

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打たれた二車線路は海抜2mにも満たない波打ち際ギリギリのラインを通過していて、テトラポッドが配置されるも時化の日は道路全体が水浸しになるだけでなく、場合によっては通行止めもたびたび発生するような危うい場所を通る。今でこそ当たり前のように配置される消波ブロックも、普及し始めたのが昭和35年頃で、昭和28年には通じていた当時の海岸線は今よりもずっと脆弱で、山陰の

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屋台骨である唯一の生命線が寸断するような危機に直面したのも一度や二度ではないだろう。断崖絶壁の直下は即海中へと潜り込む道路とは縁もゆかりもないような場所を埋め立て盛り土で嵩上げし、強引に成立させたかのような違和感のある海岸線を行けば、やがて昭和中期に大量生産された平凡な造りの酒津隧道が見えてくる。竣工から半世紀超を経た中堅クラスの隧道らしく

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見た目がややくたびれているように映るが、地域住民の生活道として今尚立派に機能している。消費サイクルが四半世紀と短命に終わる物件も多数存在する中で、幸か不幸か国道9号線は山中に新たな活路を見出した事により、酒津隧道は市道へと格下げされ第二の人生を歩む事となった。節電の為かそれとも管理上の問題からか、照明が点くもそれは全体の半分にも満たない。

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延長が118mと短く行き交う人もまばらな現在ではそれも必要にして充分と思える。人の気配など皆無に等しい海岸線であったが、酒津隧道を潜り抜けると状況は一変した。坑門を抜け出る地点が漁港の端にあたり、それより先は漁業で生計を立てているであろう漁師町独特の家屋がびっしりと軒を連ねていて、トンネルひとつ隔てた先でこうも世界が違ってくるとその激しい落差に

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戸惑いを覚え別世界へ迷い込んだような不思議な感覚に捉われる。漁港よりも数段嵩上げされた道路は、小さな漁村には不釣り合いな高規格道路で、建設当時は地域住民の一大関心事であった事は想像に難くない。まだ国道1号線でさえ全線舗装が完了していない昭和28年当時に、山陰の鄙びた漁村内を国道が横切るだけでも快挙であるがそれも二車線という高規格道路であるから

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地域住民はさぞかし歓喜した事だろう。それが坑門脇に建立された立派な石碑によく表れている。だが消費サイクルは年々加速する一方で、酒津隧道の戦力外通告は思いの外早く下される。幅員5.5m高さ3.5mは大型車同士の内部離合を許さず、いつしか酒津隧道は国道のボトルネックと化し、昭和51年のバイパス開通に伴い竣工から四半世紀も経ずして一線を退いたのである。

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