ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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逢坂隧道

 

逢坂隧道の取扱説明書

市町界を跨ぐ緩やかな峠に、役目を終えた隧道がひっそりと眠っている。恐らく僕はそいつの現役時代を知らない。レンガなのか石組みなのかコンクリなのかも。ただそこに残された痕跡と現トンネルの竣工年から、幾度か改修されたとして、末期の形状はのっぺりとした昭和中期以降のコンクリ隧道という姿しか浮かび上がってこない。それも想像の域を出ないが、どうしてもその坑門を拝みたいという衝動に駆られなかったのは、これまでこの地に積極的に関わって来なかった為だろう。ほとんどスルーに近い形だが、逢坂隧道の今をご覧頂こう。

 

逢坂隧道

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この界隈でまともに走ろうと思うと、どうしても主要国道まで出ないと、快適な走行など叶わない。地図上ではショートカットのように見えても、ほとんどは離合も厳しい時間ばかり食う田舎道で構成され、僕はこれまで何度も騙され痛い目に逢ってきた。金と時間ばかり食う主要路の改修よりも、大規模林道や広域農道などが張り巡らされるともっと快適になるのだが、険しい地形がなかなか

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それを許さない。かくて素直に大型車の間に挟まれて、主要国道を大人しく走るのが賢い選択という事を、この歳にしてやっと悟った。前を行くトレーラーに視界を遮られ、危うく見過ごしかけたが、左手に延びる旧道の残骸をシールド越しに捉えた。勾配の緩い坂がしばらく続き、その先にトンネルがあるような地形には見えなかった。切り通しもしくはそれさえも無い丘のような峠越えと思えたが、

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そこには確かに新旧トンネルが寄り添うようにして存在した。現在の逢坂トンネルは、銘板より92年竣工と比較的新しい部類に属し、構造自体は文句の付け様が無い。だがあえて苦言を呈すならば、歩道をもう少し広くして頂きたかった。地域住民の歩行者やチャリを始め、ここは全国各地から訪れるお遍路さんも数多く利用し、白装束を身に纏ったお遍路さんが、トンネル内の狭い通路を

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肩身が狭そうに歩いているのを見掛けるたびに痛々しく思う。もしかして旧道は歩行者用通路として今でも開放しているとか?逢坂トンネルの狭い歩行者通路を見て、一瞬期待したのも束の間の幸せで、そこは開放どころか封鎖を通り越して、存在自体を完全に否定された形となっていた。追い越し禁止のセンターラインが残されていなければ、旧道とは断言出来かねぬほどこの世から

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完全に消し去られた逢坂隧道。通常の土の盛り方であれば、扁額もしくは笠石くらいは残すはず。だが逢坂隧道は痕跡の一切が絶たれ、今となってはそこに隧道があった事を証明するのは限りなく困難に近い。新トンネルの残土処理=隧道封鎖?だとすれば行政としてはまさに一石二鳥なのかも知れないが、歩行者専用通路や貯蔵庫などの二次利用は選択肢に無かったのだろうか?

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金網か何かでしばらく封鎖して寝かせておくという手もあるが、結果的に逢坂隧道は不要と判断され永眠した。せめて片側だけでも坑門の形状を示す、何等かの手掛かりが残されているのではないかと、淡い期待を持って現トンネルを潜り抜けたが、今となっては全てが遅過ぎた。逢坂隧道の竣工年や詳細なスペックなどは記録に頼る他ないが、現トンネルの竣工年から逢坂隧道の現役

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時代の様子は、まだほとんどの人が覚えておいでだろう。また旧道に残された残骸の一部から、大型車同士の内部離合が不能なインチキ二車線というイメージが浮かんでくる。現在は公園として整備され、当時の様子は跡形も無く消し去られているが、無意味なオブジェと化した落石防護柵だけが、その直下に守るべき道路がかつて存在した事を、我々のような者達に語りかけていた。

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