ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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深江隧道

★★★

深江隧道の取扱説明書

大分県は臼杵市を境に東部沿岸にはリアス式の小さな半島が集中し、豊後水道を挟んだ対岸の四国目掛けその鼻先を一斉に伸ばしている。半島の先端にある楠屋鼻はいまだ周回道路を許さず、津久見湾に面した楠屋と臼杵湾に面した泊ヶ内の両集落間の交易は、平成の世において徒歩による峰越えのみというちょっとした秘境ムードが漂っている。それに拍車をかけるのが深江隧道である。こんな場所にも平然とテボッチャーが構えている所が、流石は隧道王国と呼ばれるだけあり、大分の層の深さが如実に表れている。地域住民は何事もなかったかのように行き来する極狭隧道をご覧頂こう。

 

深江隧道

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

僕が初めてこの地を訪れてからこの路線も随分と改良の手が加えられた。港の一部が埋め立てられバイパス化した箇所も見られたし、二車線へと拡幅された区間もあった。ただ全体的には1〜1.5車線の見通しの悪い狭路が大半を占め、いまだ通行に支障をきたしているというのが現実で、その筆頭に挙げられるのが本物件の深江隧道である。深江の漁村を過ぎると臼杵湾に突き出した

深江隧道[ORRの道路調査報告書]

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瘤のような断崖の海岸線を避け、車道は一路山の中へと分け入る。地図を見なくともその状況はこの先にトンネル有りと思わせるシチュエーションで深江隧道は僕を迎え入れた。峰越えする気などさらさらないと言わんばかりの緩い勾配で、山肌に開く小さな穴目掛けて潜り込もうとする県道707号大泊浜徳浦線は、当半島においては掛け替えのない唯一無二の車道である。高さ10m以上も

深江隧道[ORRの道路調査報告書]

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削られた深い堀割の下に小さく口を開ける穴がターゲットの深江隧道だ。遠くから見た時の印象以上に近づいた時の小ささは際立っており、念を押すように連続する警戒標識に、何やらただならぬものを感じてはいたが、やはり深江隧道は極端に狭い隧道であった。内部離合禁止の文字に頭上から垂れ下がる高さ制限と必要以上に注意を促し威圧感は1.5割増し。更に内部は手掘りに

深江隧道[ORRの道路調査報告書]

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薄化粧を施しただけの簡易施工に留まり、隧道王国の層の厚さと底上げするこれら伏兵の存在意義の大きさを改めて感じた。内部は二輪と四輪の離合がやっとで、軽自動車同士のすれ違いも物理的に不可能な幅員であるが、天井までの高さは手掘りゆえか一定しておらず、3.5mという制限は地上最低高に合わせているだけで、実際には4m近い場所もある。因みにこの県道は路線バスが

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往来しており、恐らくバスが深江隧道を潜る際は、歩行者とのすれ違いも困難であると思われる。常時照明が灯っている事と延長が187mと短く恐怖感はほとんど感じないが、やはり巨大生物の腸にいるような感覚だけは払拭できず、何度味わってもキモいものはキモい。さて非常にシンプルな造りの坑門は一応コンクリ製で竣工年を見ても昭和40年と並居る隧道群が群雄割拠する大分の地に

深江隧道[ORRの道路調査報告書]

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おいては新参者に等しい深江隧道。だが待てよ、昭和40年代といえばのっぺらぼうと呼ばれる坑門から内壁までがコンクリで統一されたパッケージトンネルが各地で群発した時代である。そんな中岩盤剥き出しの完全一車線という極狭隧道など生み出すだろうか?深江隧道の周辺に旧隧道や峠道の道跡などは見当たらない。隧道より先の楠屋鼻へ至る過程に点在する漁港に暮らす人々は

深江隧道[ORRの道路調査報告書]

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昭和30年代まで徒歩で峠を越していた、或いは最寄りの港まで船で行き来していたのだろうか?それも何だか腑に落ちない。昭和40年とは深江隧道が抜本的な改修が施された年で、それより遥か以前から隧道が存在したとは考えられないだろうか。隧道のメッカであるがゆえの先走り液と言えなくもないが、深江隧道はもう一歩踏み込んでみる価値がありそうだ。

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