ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュ

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港線隧道

 

港線隧道の取扱説明書

外周を周防灘及び伊予灘に囲まれ豊富な漁場という資源に恵まれる国東半島沿岸部は、その昔から漁業が発達し道路が目覚ましい発展を遂げる遥か以前より地場産業として定着し、親子何代にも渡り漁師のDNAが脈々と受け継がれてきた。今では有名無実と化した熊毛港もかつては賑わいを見せた漁港のひとつであり、大阪商船も寄港するほどのメジャー航路として活況を呈した時期もあった。まだ国東半島に陸路が確立していなかった古き良き時代の事である。竣工年は不明だが恐らく明治隧道であろう港線隧道を、現場の状況及び時代背景より考察する。

 

港線隧道

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鉄道の通わぬ国東半島は古くから航路が発達していた。主要な港は半島北部に集中し、竹田津港からは徳山へ至るスオーナダフェリーが、伊美港からは向いに浮かぶ姫島への姫島村フェリーが定期旅客航路として現在も就航している。国道から港までは短いながらも県道が仲介し、欠かす事の出来ないパイプ役である事を

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主張する。国東北部の国道と港を結ぶ片道2kmにも満たない極短連絡県道は全部で三本。県道522竹田津港線(総延長800m)、県道524伊美港線(総延長300m)、県道542熊毛港線(総延長2km)の三兄弟の中で、唯一定期航路を持たぬのが熊毛港で、平日休日問わず現場は閑散としている。現在は港まで全線

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二車線化が完了しているが、通る車両は皆無に等しい。国道213号線の花開隧道を抜けた直後にT字路にて枝分かれする県道は、住宅地を避けるようにして埋め立て地を抜けると、入り江の海岸すれすれを通過する。大海原へ向かって突き出す高さ20mほどの痩せた尾根の足元に活路を見出した県道542号は、海面より

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ほぼ垂直に隆起する岩壁にへばり付くようにして開削された。大部分は埋め立てによる大規模な改修工事によって昔の面影は失われているが、港線隧道だけはほぼ手付かずのまま生き残り、そこから往年の様子を垣間見る事ができる。幅員が2.5m〜3mで、高さは4mを確保しており大型車一台が何とか潜れる規格を

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有するも、内部での屈曲は如何ともし難く、路線が切り替わる昭和50年頃までは短くもかなりの難路線であった事が読み取れる。路面が未舗装なのだが、これが現役最後までダートであったのか、それとも改修工事で発生した残土を投げ込まれたものなのかは定かでない。延長が34mと短い港線隧道の半分はコンクリ製の

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ブロックによる内巻きで補強され、残りはモルタル噴き付けの薄化粧で処理されている。一切の装飾を持たない港線隧道は竣工から幾度かの改修を経て現在の姿に落ち着いたのだろう。ベースはやはり純粋なテボッチャーと見るのが妥当だ。明治4年別府築港が開設されると直ちに大阪別府間に貨物船が就航する。なんと

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明治14年における県下諸港商船出入概況では既に熊毛港が主要寄港地に名を連ねているのである。港があるのにそこに道が通じていないというのもおかしな話で、逆算すれば港線隧道は明治一桁生まれという途轍もなく貴重な物件かも知れないのだ。因みに現時点で昭和産でない事だけは古老の証言より確定している。

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