ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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主寝坂隧道

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主寝坂隧道の取扱説明書

2005年主寝坂峠に待望の孫が産み落とされた。長大トンネルを中心とする第三の道主寝坂道路。その姿は2006年度版の地図に描かれ、暫定開通とは言え多くの車両が新道へと移行した今、事実上主寝坂隧道は約半世紀に渡る激務から開放され旧道と化した。職人技が冴え渡る丁寧な石組みの坑門、その意匠は明らかに昭和中期のそれで、人によって評価はまちまちだが、装飾を失った昭和後期の隧道群とは一線を画す。人間業が繰り出される最後の作品とも呼べる昭和中期の隧道群は、竣工が比較的現代に近いという理由からか時代が平成へと移り変わった今も、ほとんど注目される事は無く、レンガ隧道ばかりがもてはやされる昨今、ほぼ100%の車両が素通りであるが、現代にも通ずる当時の最先端テクノロジーとアナログチックな装飾とが織り成す昭和中期の隧道は裏通りにある名店とも呼べる存在で、表通りの有名店の味かそれ以上のものだったりするのだ。主寝坂隧道もそんな物件のひとつだ。

 

主寝坂隧道

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

主と寝たかよ、主と寝たかよ、主寝坂峠。笹に何かの、笹に何かの、あとがある。イザベラも鬼県令と呼ばれた三島も峠に残された窪みに言葉を失ったと言う。かくいう僕も主寝坂峠にてその窪みとやらをこの目で確認した訳だが、一体全体どういうプレイをするとそうなるのか理解に苦しむ。主従の一線を越えた男女が作り上げたとされるものだが、尋常でない窪みにチョコボール向井氏も首を捻る。

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空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

勿論村西監督に至っては、主寝坂峠の映像化は限りなく困難に近いと溜息を漏らし仕事も手につかないという。現代の最先端AV技術を駆使しても、再現は不可能とされる主寝坂峠の逸話。初めてこの峠に自動車を通したとされる峰越えルートの頂上付近にそれはある。今では草木に埋もれ判然としなくなってはいるが、確かに言い伝え通りの凹みが峠には実在した。ORRの歴史上最も厳しい

主寝坂隧道

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

闘いを強いられた格闘劇は記憶に新しいが、主寝坂峠に待望の孫がデビューした事で、今回は一線を退いた第二世代の主寝坂隧道にスポットライトを当てる。画像が真正面よりやや外れているのは、この道が今でも現役の道として機能していて、背後から一般車両が近づき、あやわ落命という身の危険を含む大変危険な場所にあるからだ。見張り役が居れば確実なショットを捉える事も可能

主寝坂隧道

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

だが、現役の道路を単独での撮影となるとまさに命懸けで、旧道化した今でも油断は禁物である。というのも先頃開通した第三の峠道主寝坂道路が自動車専用道路という規格である為、今でもそこを通れない車両が主寝坂隧道を利用しているからだ。主寝坂隧道はあくまで一線を退いただけで、引退した訳ではないのだ。主寝坂道路の開通により交通量は減少したものの皆無という訳ではなく、

主寝坂隧道

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

旧道化した事で油断して路上を安易にうろついていると命取りとなるので注意されたし。さて問題の主寝坂隧道であるが、これが実に狭く厳しい。上の画像では坑内へと吸い込まれた直後の大型バスの姿が写っているのだが、完全にセンターラインをオーバーしている。このようなラブイズオーバー走行が昼夜を問わず最近まで平然と日常的に行われていたのだ。まさか幹線国道のトンネルでこの

主寝坂隧道

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

ような事態がまかり通っていようとは流石の欧陽菲菲も苦笑いである。その断面を見れば大型車同士の内部離合が叶わないのは当然の事、歩行者用通路さえ確保されてはいないという現実は、モータリゼーションの波に乗り、車優先社会に交通戦争へと突入していった我が国における近現代の道路史を如実に物語っている。大型車が事実上一旦停車を余儀なくされる主寝坂隧道の規格は

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ビストロORR(日刊ORRへの御案内)

明らかなインチキ2車線のそれで、坑内にセンターラインを堂々と敷いてしまえるのは幹線国道の成せる業か?時代に取り残されないように様々な付帯設備が増設されるも、遂に玄界灘を迎え印籠を渡された主寝坂隧道。だが石で組み上げられたその坑門は実に味があってデザイン的にも美しく、主寝坂隧道は古くて新しい昭和中期の代表選手と言えるのではないか。

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