ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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月居隧道

★★

 

月居隧道の前説

月居峠に明治隧道がある。それを知ったのは2000年以後の事だ。もしそれが事実ならば県下で最も価値ある道路隧道である可能性が非常に高い。また当時のままの状態を保っているならば全国区の大物に違いない。僕は興奮した。新月居トンネル(開通当初有料トンネル)が完成したのが昭和513月だから月居隧道が旧道化してから相当な年月が経過しており、封鎖されている事も充分に在り得る。僕は現地へ急行した。幸いな事に月居隧道は生きていた。今でも現役であった。しかし残念な事に竣工当時の姿は全く留めておらず全くの期待外れに終った。

 

月居隧道

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1.5車線の狭い山道を上ってくるとまず最初に目にするのが、左側の民家だ。旧道に入ってからは、道中に民家は皆無であり、ここを行き交っていた往時の様子を記憶しているであろう人家の存在は貴重だ。それより視点を先に向けると、そこにお目当ての隧道が口を開けている。ようやく峠に達した事を知ると同時に、何はともあれいの一番に突っ込みたいのが信号機の存在だろう。

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昼間でも充分インパクトある光景だが、夜間であれば尚更だ。隧道真上を見上げると稜線まではまだ遠く、月居峠に自動車を通すには隧道を穿つしか選択の余地はなかった事を実感する。隧道手前はそれまで狭かった幅員が広めに取られており、対向車を余裕でやり過ごす事ができる。月居隧道の竣工は明治初期だが信号機は当然後付で、後年になって交通量増大に伴い設置されたのだろう。

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これは旧道と化した今でも稼動していて、少なからず旧道を利用している人がいる事の証左だ。すっかり錆びきったお約束の制限バーが邪魔し、坑門のピントがややぼやけてしまっているが、残念ながら明治隧道の痕跡は全く見当たらない。県内最古の隧道と聞いて、当然期待するはレンガがテボッチャーであるが、県内初のお宝隧道発見!というビッグニュースは幻と消えた。

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月居隧道が昭和の改修で近代的な坑門に生まれ変わってしまっていたのは残念でならない。とはいえパッと見は一時代前の造りで、これはこれで絵的に何とかなるレベルだ。内部へ滑り込むと、内壁はゴワゴワとしており、微妙に波を打っている事から、地肌に直接モルタルを吹き付けたようだ。そこから推察するに、改修前は荒々しい岩盤剥き出しの壁面であった可能性が極めて高い。

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信号機が示している通り内部での離合は不可能で、単車と普通車なら何とかこなせる程度の幅しかない。それでも歩行者とは充分な幅を持って交わせるので、明治初期の造りにしては充分過ぎる程の配慮が成されていると思う。だがそれも昭和の改修時に拡張された可能性がある。また内部は漏水が酷く路面はほとんど濡れているが、両脇に排水溝も備わり、これも後年になって追加された設備と思われる。

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幅員はバスの通行を許すもので、ここを路線バスが走った可能性がある。さてこちら側の坑門だが、正直コメントのしようがない。各地の隧道で昔の隧道を惜しまれながらの改修に気を遣い、原型に近い形で修復している中にあって、いったい何を基準にこのような造りになってしまったのか些か理解に苦しむ形状だ。まさか明治初期にこのようなナウい造りをしていたとは到底思えないのだが。

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隧道真上に聳え立つ稜線は遠く、また傾斜のきつさもあり明治初期で早くも月居峠峰越えルートを断念し、ここに風穴を開けたのも納得だ。月居隧道は、明治19年竣工という事から、信じられないかも知れないが開設後117年が経過している訳で、足掛け3世紀の長きに亘る活躍を続け、現役で車の通行が可能という点では、全国でも稀に見る貴重な隧道である事だけは間違いない。

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