ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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古坂峠(11)

★★★

 

古坂峠の取扱説明書

2006年の幕開けと共に古坂峠に関する情報が日増しに届くようになり、報告書のノルマ達成に向けてクラッシュ寸前にあった僕の周囲はざわついていた。何やら関西勢の猛者が総力結集しての一大イベントだそうで、ある人はそれを古坂フェステバルと呼んだ。やがて僕の手が及ばない遠い彼の地で祭りは盛大に催され、気が付けば事態は収束、まるで一過性のブーム宜しく沈静化した古坂峠に人影は無かった。この峠でいったい何があったのか?僕はどうしてもここで起こった事の全てをこの目で確かめずにはいられず、遅ればせながら未踏の地へ初出陣と相成った。そこで目にしたのは偉大なる先人達の汗の結晶であった。この報告書は古坂峠の再開通に関わった全ての方へ感謝を込めてお贈りするレポートである。

 

古坂峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

もう大丈夫だ。そう確信したのは視界前方を遮る藪の先に、車両が横切る姿をしかとこの目で捉えたからだ。足元には目立つ障害物も転がっておらず、後年になって築かれたであろう道路脇に設けられた巨大な排水溝は、いかにも現道近しを象徴する構造物で、もう大ドンデン返しでもない限り、単車による古坂峠越えは確定的となった。路面の所々がこんもりと盛り上がり、旧道というより

古坂峠

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

用が済めば廃棄される作業路のようにしか見えず、ここまでガードレールという決定的な旧道の名残と、いかにもという線形が続いただけに、主を失い基本的な道の形さえ成していないそこは、単なる森の一部に過ぎなかった。それでもそこがかつての王道であった事実は変わりなく、僕は現道より発せられる喧騒の真っ只中へ一心不乱に突き進む。視界がパッと開けたのはそれから

古坂峠

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

すぐの事だ。まるで生まれたての雛の如し惚けた表情で、割れかけた藪の隙間からひょっこり顔を覗かせるヘナリワン。そこは決して僕自身が望むような世界ではなかったが、そこそこ自由でそこそこ平和、だけど何かが大きく狂い始めていて、誰もが漠然とした不安を抱えているのに、その正体なり根源を突き止める事が出来ず、日々悶々としながら好転する事だけを祈り、そうするうちにも

古坂峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

不快指数だけは日増しに増幅の一途を辿っている。そんな混沌とする時代の真っ只中で、僕は古坂峠に一筋の光明を見出していた。はっきり言って誰も得をしないし、ぶっちゃけ一銭にもならない。しいて挙げれば突破という己の欲求を満たすだけ。たかが突破で一躍有名になれる訳でもないし、それで家が建つ訳でもない。だが一度は失われた峠道の開削に誰となく着手し、その流れが

古坂峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

人を呼び、単車までという制限はあるけれど、再開通へと漕ぎ着けた意義は大きい。稀に見る倒木群に人為的獣道、それにトドメの巨木と続いた古坂峠における大障害、別名古坂三点セットは例え文明の利器を駆使しようとも、一日二日で開通できるようなレベルではない。それが人力の人力による人力の為の人力だ。その労力たるや想像するに余りある。損得勘定で行動し、苦楽

古坂峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

のみが判断基準となり、自分さえよければそれでいいという風潮を危惧し、今は亡き作家司馬遼太郎は未来人に向けてこう書き残した。「人はひとりでは生きていけない。助け合って生きていかなければならない。助け合う気持ちのもとは、いたわりという感情。それは他人の痛みを感じること。しかし、それは本能ではないから訓練が必要。訓練することで自己が確立し、たのもしくなる。

古坂峠

ビストロORR(日刊ORRへの御案内)

これは人が生きていくために欠かすことができない心構えである。」それを人は品、或いは品格と言う。どれほどの日本人がそれを理解会得し実践しているだろうか?ひとつだけ確実に言える事は古坂峠の再開通には品があったという事。最後に僕からORRに集う皆様へ品のある一言を「夢は時間を裏切らない」これ僕のオリジナルアルヨ。

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