ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

トップ>廃道電撃ネットワーク>山陰>島根>休峠

休峠(5)

★★★

 

休峠の前説

人の手を離れ管理されなくなった道路は、通常お荷物扱いとされ、またそこを通る者は変わり者というか、下手すると軽犯罪者として祭り上げられる可能性さえあり、様々な意味においてリスキーロードである廃道。だが時として廃道突破が歓迎される事もあるのだ。珍しい事ではあるが、休峠は我々のような探索者にとって、大手を奮って本領発揮できる数少ない貴重な物件であり、ここへ来たならば周りの目など気にせず、心行くまで薮の大海原を堪能するがいい。

 

休峠5

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

おいちゃん達もこの先はどうなっているか分からないと言った廃道区間の調査はここにて終了した。右から寄ってきた1車線の田舎道と合流する形で、旧道は再び正規のアスファルトに姿を変えた。そしてこの合流地点こそが休峠であったのだ。そこには一体のお地蔵様が置かれている。田舎道と合流し再び息を吹き返した旧道は、左に向かって緩やかに弧を描き始める。

image003.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

ほぼ垂直に堀割られ、左にカーブする休峠。現在は路側帯が判然とせず、1.5車線となっている幅員も、現役時代は完全な2車線であったようだ。よって対向車を意識する事なく峠では平然とすれ違いが行われていたのだろう。それも相当古い時代からだ。というのも掘割の側壁は全て石垣で覆われているのだ。そのほとんどを植物に覆われてしまっているが、この重要な道路遺構を僕が見逃すはずはなかった。

image005.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

道中に見られた落石防護壁はコンクリート製で路面は断続的とは言えアスファルトが敷かれている。現場に残された物証から見た僕の見解はこうだ。かつて旧道は全線未舗装路であった。いつしかトンネル話が持ち上がるも、新道が開通し路線が切り替わるのはまだ何年も先の事であり、それまで現状で持つのかどうか一抹の不安があった。そこで一部区間に改良が加えられた。

image007.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

旧道が現道として活躍する時代の末期の事である。峠の石垣はしっかりした造りで、ここは昔ながらの姿を留めた。但し休峠は旧道が開通する遥か以前から使われているのである。何故そう言えるのか?おいちゃん達は語った。あんたがこうして入ってきた道は確かに旧道さ、若い頃はこの道を使っていたからね。だがわし等にとって旧道とはアレなんだよ。

image009.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

そう言って作業現場から遥か眼下を走る極細道を指差した。その道沿いにはまんが日本昔話に登場するような古民家が数軒建ち並んでいた。あれがこの道の旧道?って事は眼下の極細道は旧旧道か?廃道と化した旧道からも旧旧道の姿はずっと見えていた。そこには電柱があり、畑があり、人の温もりが感じられた。民家の軒先を通る狭い旧旧道のバイパスとして旧道は通されたのだと言う。

image011.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

それが皮肉にも旧旧道より先に廃されてしまった。峠で合流する田舎道、もうお気付きだろう、あれが旧旧道である。よって峠の石垣、あれは相当古い時代のものだ。峠からの下りには旧道時代の置き土産が多数残されていた。僕は坂本トンネルを抜け、再び作業現場を目指した。おいちゃん達に廃道区間の状況を報告するためだ。現場には新たに軽トラが加わっていた。

image013.jpg

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

僕は廃道区間の状況を熱心に説明した。すると軽トラのおいちゃんは言った。おらも1ヶ月程前こいつ(軽トラ)で峠まで抜けたど。激薮に開いた車1台分の空間、OK!謎は解けた。そこで一句。激薮や強者どもが夢の跡。休峠は廃道突破を歓迎される数少ない道として、僕の記憶に深く刻み込まれたのである。

休峠4へ戻る

トップサイトナビゲーター管理人について感想・お問い合わせ