ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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旗返峠(1)

★★★★

 

旗返峠の取扱説明書

新道が完成し旧道と化した区間や、用を終えた林道が廃道化したなどの理由により、地図上から抹消されるという現象は、然程珍しい事ではない。だが新道やバイパスのような迂回路が完成した訳でもないのに、人知れず静かに消されて行く道が、極稀に見られるのも事実だ。その象徴的な物件としては戸谷隧道が挙げられる。そしてここ大分にもそんな不可解な物件がある。それが県道706伏野宇目線旗返峠だ。何故この道は地図上から消されなければならなかったのだろうか?1996年初めて旗返峠に立ったその日から、10年の時を経て、遂に謎多き県道の実態が報告書によって明らかとなる。

 

旗返峠1

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

とある山間部の何気ない分岐点。物語はこの分岐点から始まる。沿道には養鶏場としてはやや小さめの鶏舎と、肥料を貯蔵して置く為の小屋が建てられている。小屋の脇には古ぼけた案内板がだらしない状態でポツリと佇んでいた。その姿から現在ほとんど役にはたっておらず、有名無実である事は明らかであった。

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しかしこれを現在の案内板としてではなく、ひとたび道路遺構という視点で見たならば、無意味どころか当時の様子を知る貴重な手掛かりとなるのだ。この案内板は支柱に4枚のパネルが宛がわれ、上2枚は比較的新しい物である。とは言っても毎度の事ながら数十年の時を経ている物なのだが、注目すべきは下の2枚である。上2枚のパネルは支柱と同じく鉄製であるのに対して、下の2枚は木製であり、パッと見かなり古そうだ。恐らくこういう事だろう。

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その昔は下の2枚のみでした。いつの頃からか木製ではなく鉄製の立派な案内板へと変わりました。その際それまでの案内板を廃棄するのもどうかと思い、とりあえず括り付けておきました。ってな感じではないかと推察する。まあ経緯はどうでもいいとして重要なのは木製の案内板が現存していた事である。そこにははっきりと旗返の文字が見て取れる。この先に旗返という地名は無い。

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調べれば存在するか、もしくは過去に存在したかも知れないが、少なくとも市販のどの地図からも旗返という名の地名を拾う事は出来ない。この先にある集落は全くの別名であり、ここで旗返と案内される場所がどこを示しているのかと言えば、当然の事ながらそれは旗返峠を指しているのである。もう一度一番最初の画像をよ〜く見て欲しい。手前が県道の本線なのであるが、その線形は明らかに左へとカーブし橋を渡っている。

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線形もそうだしアスファルト上に残された無数のタイヤ痕もそれを証明している。確かにそれが本線で間違いではない。本線である事はひどく正しいのだが、それが県道であるかどうかは全く別問題。確かにここを通る全ての車両が直進せずに左折して橋を渡って行く。またその逆も然り。決して交通量の多い路線ではないが、取材中も数台の自動車が両方向から行き交った。

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そのどれもが決まりきったかのようにT字路を曲がって行き、それも方向指示器さえ出さないのだ。そんな状態であるが故に、直進もしくは橋を渡って左折しようなどという車両は1台も存在しない。だがしかしここに直進を試みようとする珍しい車両がある。そう、言わずと知れたヘナリワンだ。何故直進するのか?答えは単純だ。

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直進こそが県道の本線だからである。現に誰も見向きもしない1車線路へと足を踏み入れれば、ちゃんとその先にヘキサもあるじゃないか。橋を渡る道は国道へと通ずる市道で、この県道も地図上では国道へと抜けている。ただちょっとだけ気になる点は、その表記が点線だという事。10年前に残した我が足跡の追跡が今始まる。

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