ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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右左口峠(1)

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県道113号甲府精進湖線中道往還(右左口峠)の取扱説明書

ここ右左口峠は中道往還と呼ばれ、古くは軍事道路として性格が強かったようであるが、後に駿河と甲斐を結ぶ重要な物資の輸送路となり、人道としては長い歴史を持つ。しかし自動車道としての歴史は意外にも短く、昭和43年自衛隊によって開削されるまでは馬車も通れない完全な人道であったようだ。県道として華々しく再スタートを切った右左口峠であるが、早くも昭和48年右左口トンネルが開通、なんと5年という短命でその生涯に幕を閉じるという悲劇(喜劇?)の峠道である。いったい何の為の自衛隊要請であったのか、その意味無し芳一っぷりをとくとご覧あれ。

 

右左口峠1-1旧版サイズbyORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

今夜は冷えるそうですよ。名も無きパーキングにテントを構えた僕の真隣に、古いタイプのジムニーがピタッと横付けし、降りてきたおっさんは心配そうに話しかけてきた。既に前日よりも明らかに冷え切っている空気に、僕も少しオーバーアクション気味にさぶいっすね〜と相槌し、正味5分程だが会話を交わした。どうやら一人旅をしているようで、すぐに同類と判別のつく僕の隣に

右左口峠1-2旧版サイズbyORR

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

自然と席を取ったのだろう。まあ取材中にはよくある一場面だ。日中は30度にも達しようかというこの時期の夜にしては珍しく大きく冷え込み、車内も相当寒かっただろうに、真隣の僕に気をつかってか、おっさんは朝まで1回もエンジンを掛ける事なく早朝足早に立ち去っていった。たいした事でもないようだが、これが意外と難しい。同じ敷地内でもちょいと離れた場所の

右左口峠1-3旧版サイズbyORR

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

トラックやら若者が乗りそうな車やらは朝までガンガンエンジンかけっ放しだったのだから。かなり冷え込んだお陰だろうか、翌朝は快晴で迎え、テント内も次第に明るくなってきたと思ったら、あっちゅう間に中に居られないほど暑くなり、そそくさと折り畳み出発の準備に取り掛かった。ジェントルメンジムニーのおっさんから遅れる事2時間半、ようやくこちらもエンジン始動と

右左口峠1-4旧版サイズbyORR

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

相成った。本日の1番バッターである右左口峠は、冬期通行止は勿論の事、ちょっとした災害でも長期通行止となってしまう脆い道で、確率的には晴れた摩周湖を拝むレベルと同等だ。この日も通れるかどうかはゲートまで行ってみなけりゃ分からない。現道との分岐から旧道へと進路を取れば、すぐに現れるのが街道筋の情景を色濃く残したストレートに続く町並みだ。そこを

右左口峠1-5旧版サイズbyORR

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

抜けると一旦はセンターラインのある2車線路へと拡幅するも、再び現れた現道と交差する辺りで幅員は1.5車線へと縮小する。旧道は目指す方向に背を向ける形で180度方向転換し、現道とは真逆へと登坂を開始する。両者がクロスする地点で旧道と現道はその昔行き来できたのであるが、現在は接点を完全に閉じられてしまっている。そしてそのクロスする地点こそが運命を

右左口峠1-6旧版サイズbyORR

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

分けるゲートの設置場所であるのだが、日頃の行いが良いからだろうか、この日はゲートオープンにつき、あっさりと通過できた事に少々拍子抜けしてしまった。正直に申せば、開かずの道である当路線を通行する際ほとんどはゲートを突破する訳でして、工事中のおっちゃん達と未知との遭遇で一問答ある事や危険な箇所を乗り越えねばならぬ事、また何事も無く通過できたとしても

右左口峠1-7旧版サイズbyORR

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

後ろめたさを引き摺ったままの峠越えは手放しで喜べるものではなく、やはり通行可の状態で通れるに越した事はない。この日は大手を振って通れるだけでなく、開放されているという事は安全も保障されている訳で、わ〜たしの記憶が確かならば10年以上前の初回通過時以来2度目の正規通行となる。(万年通行止につきあとは全て突破)

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