ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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右左口峠(2)

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県道113号甲府精進湖線中道往還(右左口峠)の取扱説明書

ここ右左口峠は中道往還と呼ばれ、古くは軍事道路として性格が強かったようであるが、後に駿河と甲斐を結ぶ重要な物資の輸送路となり、人道としては長い歴史を持つ。しかし自動車道としての歴史は意外にも短く、昭和43年自衛隊によって開削されるまでは馬車も通れない完全な人道であったようだ。県道として華々しく再スタートを切った右左口峠であるが、早くも昭和48年右左口トンネルが開通、なんと5年という短命でその生涯に幕を閉じるという悲劇(喜劇?)の峠道である。いったい何の為の自衛隊要請であったのか、その意味無し芳一っぷりをとくとご覧あれ。

 

右左口峠2-1旧版サイズbyORR

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

旧道は人道の中道往還を拡幅したものではなく、新たな自動車道として開削したもので、自動車を通す事が大前提であるため、その勾配は当然緩やかである。現道に対する旧道というポジションではあるものの、中道往還の跡を追って正確にトレースした路線ではなく、新規路線につき道路の歴史は浅く、目立った道路遺構も見られず、そこにあるのは一般的な未舗装林道と

右左口峠2-2旧版サイズbyORR

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

何等遜色のない姿で、県道を指し示すポールによって何とかグレードの高い路線である事を申し訳なさ程度主張するに止めている。道中に昔の姿を見る事はほとんどないに等しいが、今でも道路脇に蔵が建ち並び宿場町の情緒ある雰囲気を漂わせているのが、現道との分岐から旧道と現道が再びクロスするまでの間の、長い直線の坂道区間である。中道往還を語る上で

右左口峠2-3旧版サイズbyORR

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

当時の雰囲気を色濃く残す唯一の区間として、その坂道は外せない。生活道路として完全な舗装路になっているのは残念であるが、その昔は石畳もしくはダートだったと思うと実に惜しまれる。少しでも当時の様子が伝わればと思い、あらゆる角度から舐めるように撮影していると、朝っぱらからお巡りさんに捕まってしまった。僕はなるべく話掛けられないように遠方から来た

右左口峠2-4旧版サイズbyORR

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

旅目的のツーリングライダーを装い、熱心に宿場町の撮影に没頭する好青年を演出した。だがしかし、そこは熟練の警察官だ。その鋭い眼光は僕の動きを捉えて離さなかった。怪しい、何だこの三重箱は?決してお巡りさんは僕にそう言ったのではなく、どこ行くの?とお決まりの文句で僕の口を開かせたかっただけなのだが、お巡りさんの目がそう言っているのは確かであった。

右左口峠2-5旧版サイズbyORR

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

これから峠を越えようかと思って。その一言で事態は急変する。いや、これが悪い方にではなくて恐ろしいほど良い方に傾いたのだ。お巡りさんは堰を切ったかのように中道往還について語り始めたのだった。それはそれは延々と際限なく出るわ出るわ、武田信玄に始まり徳川家康、自衛隊の開削や開通当時自動車で峠を越えた話など、こっちは聞いてもいないのに流るるように

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ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

溢るるように語る語る。それは止まる事を知らなかった。僕はどこでストップ!と言おうかタイミングを計っていた。そのままだとお巡りさんの話で夕暮れを迎えてしまう勢いであり、それまで完全に聞き役に回っていた僕だが、これ以上付き合ってらんね〜と重い口を開いた。あの〜ちょっと宜しいですか?今でも峠は越えられるのでしょうか?と投げ掛けてみた。お巡りさんは即答した。

右左口峠2-7旧版サイズbyORR

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

危ねぇ、やめとけ。思わずズッコケそうになった。散々右左口峠の魅力について語っておきながら行かない方が良いと言う。僕はお巡りさんを業務妨害で現行犯逮捕し甲府南署へと連行しようかと本気で思った。V字の切れ込み、その先に峠がある。当然お巡りさんの忠告など右から左である。

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