ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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笹子峠(1)

★★★★

 

笹子峠の取扱説明書

日本橋を起点とする東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の日本の根幹を成す主要街道5つを総称して五街道と呼ぶ。大名行列ご一行様が江戸と国元を往来するため整備された道で、それらは後の主要国道の原型となる。幕府が通信・輸送を円滑に進めるため、宿駅・伝馬制を整備し、公用の文書や荷物を宿ごとに配置された継飛脚の手によって、宿から宿へとリレー方式により輸送が行われた。それが今日の駅伝に姿を変え継承されているのはご存知の通りである。その五街道の一角を成す甲州街道から時空を隔て現代の伝馬ヘナリワンが、電脳公文書を送り届けたいと思う。

 

笹子峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

天下の家康もまさか人力以外の動力で走る鉄馬が登場する事など予想だにしなかった事だろう。以来400年以上の時を隔て現代の伝馬ヘナリワンが電脳報告書を届けるべくこの地に降り立った。伝馬は赤カブとして現代に引き継がれ、飛脚は箱根駅伝を筆頭に国民的伝統行事として今日まで脈々と受け継がれている。飛脚も伝馬も自動車やバイクへと姿形を変え、現代でも活躍して

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空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

いる訳だが、時代の移ろいと供に路線も変更され、かつてそれら人馬で賑わった街道筋も、祭りの後の静けさで、馬車が通るでもなく、飛脚がダッシュしてくるでもなく、当時の面影は物言わぬ道路遺構にしか見る事はできない。だが当路線に残る遺構群、中でもとりわけ馬車道時代以降のものは保存状態も良好で、その数も多い。現道との分岐には新旧2本の橋が仲良く並んでいる。

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お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

旧道に架かる橋梁は、コンクリ製とは言え、昭和初期にタイムスリップしたような錯覚に陥るほどモダンで、かなりの年月を経ているにもかかわらず損傷の度合いは浅く、今もって健在なのは驚くばかりだ。仮にぶっ壊れたとしても、格下げされたとは言え、県道に指定されているので、何等かの施しは受けるだろうが、原型を尊重した復元が施されるかどうか。モダンな橋梁を渡ると

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羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

現道を背にし、別方向へと進路を採る。山塊の懐目掛け一直線に延びる旧道沿いには年代モノの石垣が低めに築かれ、また現代家屋に取って代わり、武家屋敷こそ見られないのだが、沿道を均等に配置された屋敷跡と分かる特徴的な区画整備のされ方なども旅情を盛り上げてくれるソースだ。最終集落を過ぎると人の気配は消え失せ、人工的な音は一切せず、完全に自然の支配下に

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www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

置かれる。聞こえし物音の全てが天然由来であり、人工的な音と言えば時折現れる対向車くらいのものだ。それも一瞬の出来事であり、無風であれば日中でも恐ろしいほどの静寂に包まれている。夏ともなればけたたましいセミの大オーケストラとなるのだろうが、新緑の時期は総じて穏やかを通り越し、耳が逝かれたかと思うほど無の世界が広がる。旧道に架かる橋梁はひとつではなく

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ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

複数個存在するのだが、そのどれもが個性を主張し、似たものがないのも大変興味深い。街道としての価値も高かろうが、自動車を通す道路としての価値も非常に高い路線だ。山中深く分け入れば、そこここに現れる石垣も、そのあまりの多さにどれを捉えて良いものか迷ってしまうほどだ。また周囲の杉も植林されたものではあるけれど、それ相応の年輪を重ねた巨樹も見られ

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おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

この旧道がタダ者でない事を物語っている。特に県の天然記念物にも指定され、葛飾北斎や安藤広重なども描いたとされる矢立の杉はあまりにも有名。まあ歴史云々よりも道路だ。いくつかのヘアピンにて嵩上げした旧道は道中目指すべく先が見えぬままここまで至ったが、ついに笹子峠のV字曲線を捉え、ターゲットの射程圏に入った。

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