ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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能見坂(2)

★★

 

能見坂の前説

伊勢湾から熊野灘へ抜ける交通の要として古来から使われてきた能見坂は、現在でもハイペースで巡航可能な抜け道としてその利用価値は高い。市販の地図を見るとそこには長大トンネルが描かれ、かつての能見坂が旧道と化した事を示していた。旧道と化した途端に閉めてしまう峠道も多い昨今、僕は慌てて現地取材を敢行した。そこで目にしたのはとんでもない代物であった。

 

能見坂2

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兎にも角にも野見坂隧道は、この界隈に見られるお宝隧道群と、何等遜色のない極上物件である事が判明した。新野見坂トンネルが完成するつい数年前まで、ここが現役の峠道として使われていたというのだから驚きだ。やはり旧廃道だけでなく、現役の道路でも想像を絶する物件が、まだまだ日本各地に数多く眠っていて、それを掘り起こせていないだけという事を、改めて能見坂は僕に教えてくれた。

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振り向き様に扁額の文字を確認してみると、そこには能見坂隧道ではなく野見坂隧道と記されていた。道中に見られる天然記念物野見坂の地層褶曲は昭和16年に指定を受けている。近隣の国道隧道がどれも大正時代のレンガ製で、断面の大きさからそよりも後に竣工された確率が高い野見坂隧道は、結論として大正末期から昭和2桁までの間に完成したのではないか。僕はこう読んだ。

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野見坂隧道は国道のレンガ隧道を見習って造られたものである。時代背景から軍事道路として機能させようとした可能性は充分に有り得る。だからこそ大量の物資を輸送する大型の車両を難なく通せる大断面でなければならないし、それは結果として後にモータリゼーションが発達する現代において普通車同士の内部離合を可能とした。

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但し隧道を含めて能見坂に自動車が通れるように改修した頃はオール1.5車線の狭い山道であったと思われる。その名残が今でも残っている。それが左の画像だ。上りでも既に気付いていたのだが、能見坂のほとんどが後から継ぎ足して2車線化した痕跡が随所に見られるのだ。その決定的な証拠がこれだ。能見坂に初めて自動車が通った頃は砂利道の1.5車線で九十九俺とトラバースによる何ともドライバー泣かせの悪路であった。

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とは言っても当時としてはとても立派な規格であり、そこそこ安心して通れたのではないだろうか。道中には人家の1軒も無く生活道路ではない為、主な通行車両は生活物資と軍事物資を運搬する大型車がメインではなかったか。それも現在とは比較にならない通行量で、当時としては幅狭の砂利道でも充分対応できたはず。恐らく地層褶曲の正式な学術調査が入ったのも能見坂に車道が完成した後の事ではないだろうか。

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ジープに揺られはるばるこの地まで足を運んだ専門家達の姿が目に浮かぶのである。トンネルある所に旧道ありの鉄則に従えば能見坂には峰越えルートが存在するはずだが、隧道の前後から派生する枝道は一切確認できなかった。かと言って道中にそれらしき枝道があった訳でもない。線形からは元々馬車道であり隧道もレンガ以前は手掘りで、昭和以前から風穴を開けていたとも考えられるが、僕の結論はこうだ。

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昔の牛馬を通すような道は車道と重ならない形で別に存在するのではないか。昔からお伊勢参りの道として使われた古道は、現在その痕跡さえ掴めぬほど自然に還っている、そんな気がするのでだ。かつての難所も今では峠越えという感覚はない。

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