ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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船坂峠(6)

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船坂峠の取扱説明書

大阪と北九州を結ぶ日本の大動脈とも呼べる主要国道の岡山と兵庫の県境に、海抜145mという山間部にしては屁みたいな峠がある。現在は大型車同士の相互通行が可能なトンネルによって、昼夜を問わず留まる事なく様々な車両が往来し、特に国の根幹を成す道路とは切っても切り離せない大型トラックの通行が目立つ船坂トンネル。現代の殺人的な交通量をその昔はどのようにして処理していたのだろうか?トンネルのある所に旧道ありの鉄則通り、ここにも峠道がある。それが今回のターゲットである船坂峠だ。僕はそこで驚愕の光景を目にする事となる。

 

船坂峠6(兵庫県側)

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眼下に現道が見えて来ると、それまで自分だけの世界に浸れていたものが、けたたましい爆音と途切れる事のない車両の姿に、容赦なく現実世界へと引き戻される。その昔は主役を担っていたこの道も今は時折訪れるチャリダーと、犬の散歩がてら最終集落から少し足を伸ばしてきた地元民だけが利用するに留まっている。年間を通じていったい何人の歩行者がこの道を利用するのだろうか?

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誰一人通らぬ日もあるのではないか。もしも車両の通り抜けを許していたならば、休日になれば幾らかは利用する輩も現れようが、現在は歩行者専用路であるが故に、利用者はほとんど見込めず、寂しい限りである。旧道は再び1.5車線へとその幅を狭めるが、これは現道に路面の一部を削り取られてしまったからに他ならない。

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ガードレールも錆び具合から現役当時のものではなく、あくまでも歩道転用後に設置されたものか、もしくはこう考えられるのである。旧道は船坂トンネル開通後も、しばらくは車両を通していたのではないかと。単なる歩道の為だけに果たしてガードレールなど設置するだろうか?尤も現道に路面の一部を削り取られる前に設置されていたガードレールを一旦外し、幅員を縮小した時点で再設置したとも考えられるのだが。

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旧道は蛇行を続けながら次第にその傾斜を増し、チャリでも勢い良く下れるほどの坂道となった。途中の各コーナーには電柱や街路灯、落石注意の標識などが配置され、歩道の設備にしては必要にして充分な量で、やはり一時期は車両を通していたのではないかと考えられる。現道との高低差もだいぶ縮まり、真横には猛スピードで駆け抜ける車両の姿が視界へと飛び込んでくる。

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新旧道路を隔てる距離が僅か20mとなった地点で、旧道は二手に分かれていた。直進は生粋の旧道で、このまま集落の外れへと向かう。右へ下れば現道へとぶつかり、峠越え区間はそこで終了となる。この先現道はバイパス状のまま集落をパスするのだが、船坂トンネル建設当時はいったいどこで切り替えが行われていたのだろうか?

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普通に考えればトンネルに最も近いこの場所まで新道で導いておきながら、まだ完成していない船坂トンネルが見えてくるタイミングで、行き交う車両を峠へ迂回させたはず。しかし新旧道路を繋ぐパイプ役はあまりにもショボかった。せいぜい普通車1台が通れる幅員の狭い道で、いくら当時の交通量が今とは比べ物にならないとは言っても、ここは天下の主要1桁国道である。この頼りないアプローチ1本で捌けていたはずがない。

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今ではガードレールによって現道からの車両の進入を阻止しているが、その昔は丁度この位置で、正面に見える掘削中の船坂トンネルを見ながら、右上の狭い峰越えルートへと誘導されたはず。だがいまいち腑に落ちないその線形に、「その昔船坂峠は1車線の狭い峠越えであった」などと似てねー田口トモロヲの真似をしつつ、消化不良のまま僕はこの地を後にするしかなかった。

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