ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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由良峠(2)

★★★★

 

由良峠の前説

和歌山のカムイくまのじ氏によってもたらされた由良洞情報によって、それまで放置気味であったその地区にORRが重点を置いたのはつい最近の事だ。一度この界隈に目を向けると、それが面白いように出るわ出るわ、次から次へとお宝物件がザクザクと出土し、もうこの勢いは誰にも止められない。道路遺構だけでも半径10km以内にひしめき合うようにして乱立しており、何から手を付ければ良いのか迷ってしまうほどだ。隣接する路線では先に紹介した鹿ヶ瀬峠にも負けず劣らずの物件で、鹿ヶ瀬峠とは明らかに格が違う由良峠とはいったいどのような路線なのだろうか。期待に胸膨らませ初路線に今、足を踏み入れる。

 

由良峠[ORRの道路調査報告書]

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

両側供に言える事なのだが、果たして坑門前で対向車が交わせるのかどうかは大いに疑問である。その昔はどうだったのか知らないが、現在の舗装路は1.5車線幅であり、どちらか或いは両車供に草むらへタイヤを落とす事によって、かろうじて離合は可能な状態にある。草むらに隠れているが、実幅は見た目以上にあるので、当路線が砂利道時代は離合が難なく行われていたのかも知れない。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

その他にも気になる点がいくつかある。まず由良洞の規格であるが、これはどう見ても大型車が通行できる規格ではない。隧道の高さ幅供にせいぜい普通車にしか対応していない事と、何と言っても現代のバスがすっぽり納まったとしても、坑門を抜けてからすぐにカーブを描いている事から、ロングボディでは抜け出して来れないと思われる。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

JRと並走する由良峠に路線バスが通っていたのかどうかは定かでないが、もしこの峠道にバスが走っていたとしたら、それはボンネットタイプの小さな乗り合いバスだったのではないか。取材中に行き交う車両は皆無で、この道の様子が今も昔の姿も全く窺い知る事ができない。現地での証言を得ようにも、人家がひとつも存在しないのには参った。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

由良洞を抜けて振り向けば、稜線との高さは如何ともし難く、切り通しという選択枝は当然無かったと思われ、始めから由良峠には隧道を突くという強い姿勢が、道中の緩やかな線形からも明らかだ。由良洞がレンガ隧道であるからして、竣工は明治か大正まで遡らねばなるまい。この峠に初めて自動車を通したのが当路線である事は言う間でもなく、もしかしたらちょっとした更地や、或いは薮に埋もれる形で、茶屋跡や廃屋などが気付かぬ場所に眠っているやも知れぬ。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

何故そう思うのか、それは道路脇に電柱が片時も離れる事なく寄り添っていて、今でこそコンクリート製のそれも、その昔は木製であったはず。峠越えの全区間において電気を引ける状態にある事が、その昔人家があったのではないかと思わせる要因である。この沿道に実在する人家が現れた辺りで、道幅は普通車同士の離合が可能な幅員まで広げられているが、下り途中ではこの道が現役時代はどうやって捌いていたのか不思議に思ってしまう極狭区間も少なくなかった。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

現役時代?主要2桁県道に現役も糞もないでしょ。僕もそう思っていたし、由良峠を越えて来る最中でさえ、この道は開通当初から一貫して現在に至るまで主要県道という職務を松任しているのではないかと思われた。しかしそうではなかった。由良峠にも華やかな時代があったのだ。沿道の民家で庭掃除をしていた爺さんは語った。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

ここは昔の国道だと。理屈では分かっているが、生の証言は強烈であった。トンネルある所に旧道ありの鉄則に従えば由良洞以前はあの熊野古道という事になってしまう。由良峠が国道だった。その信じ難い現実をすぐに消化する事が出来ず、僕は消化不良のままこの地を後にするしかなかった。

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