ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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大ヶ峠(1)

★★★

 

大ヶ峠の前説

日本海と周防灘を縦に結ぶ当路線は延長距離の短さと選定された地理的好条件により、難所と呼ばれる部分はほとんど見当たらない。ましてや全道程のほとんどが改良され、すっかり生まれ変わってしまった快走路に昔の面影はない。そのような路線において唯一難所と呼べるのが大ヶ峠である。全国から名立たる物件が集められた報告書の中において、大ヶ峠が難所と呼べるのかどうかは判断の分かれる所であるが、少なくとも当路線において最大の難所であった事は間違いない。大ヶ峠隧道開通以後すっかり人々の脳裏から忘れ去られた旧国道の現状をお伝えしよう。

 

大ヶ峠1

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

大ヶ峠隧道、それは1980年竣工のトンネルとしてはまだ日の浅く、100年モノの長老級からしてみれば、働き盛りと言うよりは青二才と言っても過言ではなく、平々凡々なコンクリート製の無機質な面持ちは、見る人が見ないと区別できないほど画一的な量産タイプのそれであるが、規格や設備面などは近代的なトンネルと言っても差し支えないほど立派なものだ。

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かれこれ四半世紀を経過している大ヶ峠隧道はこの界隈に点在する峰越ルートの中において、規格としては隣接する県道と大差はないのだが、大ヶ峠は国道というポストに一日の長があり、市町界を跨ぐルートでは逸早く改良工事が着手された。それは既存のルートを拡幅するものではなく、抜本的に見直す新設路線に等しいものであった。

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全線2車線化が完了した当路線において、かつての酷道ぶりはすっかり鳴りを潜め、今では見る影もないが、ここ大ヶ峠には当時の面影が今でもほぼ完全な形で現存しているのだ。それを知ったのは世紀末の頃であり、僕は大ヶ峠に一条の轍を刻み込み、その場を足早に立ち去った。当時の僕は馬鹿のひとつ覚えのように、峠を越す事だけに精を出していた訳で、ここ大ヶ峠も単なるコレクションのひとつでしかなく、その他大勢の峠の中に埋もれてしまうほど、初回通過時の記憶は曖昧である。

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だが脳はかつて視界に映ったものの全てを記憶しているそうで、人はただ単にその記憶が引き出せないだけなのだそうだ。訓練すれば意図も簡単に過去の記憶を呼び戻せるらしいが、冷蔵庫の扉を開けた瞬間何を取りに来たのか忘れてしまう若年性痴呆症の僕にとって、鈴木ですが社長はいますか?という電話を受け、社長!平田さんからお電話です♪と自信を持って堂々と取り次いでしまえる僕にとって、それは酷である。

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だが、そんな僕でもある刺激によって、その他大勢に埋もれていたはずの大ヶ峠が、忘却の彼方から突如鮮明に甦ってきたのである。それはデジタル化された某地図の中国四国版を何気なく見ていた時の事だ。ふと大ヶ峠に目をやると懐かしさを感じたのも束の間、次の瞬間思わず虫眼鏡で確認してしまった。なんと大ヶ峠旧道の峠より北側の片面が点線扱いになっているではないか!

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なぬ、ついに崩壊したか?その衝撃がとっくの昔にデリートされたはずの大ヶ峠の記憶がフラッシュバックに近い現象で芋弦式に呼び起こされたのだ。数年前には何の障害もなく確実に通り抜けられたはずの大ヶ峠旧道にいったい何が起こったのだろうか?長らく地図上から末梢されていた秋田の仙岩峠が地図のデジタル化に伴って、点線道として浮かび上がってきたのと同じであるならば、道路自体はまた生きているかも知れない。

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以前の状態を保っているのかそれとも廃道化か?どちらに転ぼうがORRとしては差し支えないのだが、問題はただ一点峠を越せるのかどうかだ。僕は居ても立ってもいられず、早速現地へと赴いた。通行止の看板は相変わらずで別段変わった様子は見られず、ゲートが設置されている訳でもなかった。果たして点線区間は無事なのだろうか?

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