ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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大ヶ峠(3)

★★★

 

大ヶ峠の前説

日本海と周防灘を縦に結ぶ当路線は延長距離の短さと選定された地理的好条件により、難所と呼ばれる部分はほとんど見当たらない。ましてや全道程のほとんどが改良され、すっかり生まれ変わってしまった快走路に昔の面影はない。そのような路線において唯一難所と呼べるのが大ヶ峠である。全国から名立たる物件が集められた報告書の中において、大ヶ峠が難所と呼べるのかどうかは判断の分かれる所であるが、少なくとも当路線において最大の難所であった事は間違いない。大ヶ峠隧道開通以後すっかり人々の脳裏から忘れ去られた旧国道の現状をお伝えしよう。

 

大ヶ峠3

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緩やかなコーナーを描く見通しの良くない1.5車線の切り通し、これが大ヶ峠の正体である。峠付近での離合は困難を極め、最も込み合っていたであろう通勤時間帯は、いったいどのようにして捌いていたのだろうか?大ヶ峠隧道の竣工年が1980年で、てんとう虫と呼ばれたスバル360が大衆車として世に出た頃は、まだまだ般ピーには高嶺の花であったマイカーも、80年ともなれば一般大衆でも軽く手の届く代物となっていた。

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日本人が歴史上最も豊かな暮らしを手に入れ、国民総夢見る少女じゃいられない状態に陥り、そのお祭り騒ぎが一瞬にして破綻するバブル崩壊の僅か10年前の事だ。団体旅行から個人旅行へ、鉄道から自動車へと旅行形態が大きく様変わりして行く中、それまで日に数えるほどしかなかった峰を越す車両は、商用車とトラックにバスと相場が決まっていた。そこに一部の金持ちが所有するまだ珍しかった一般車が混ざっているという程度に過ぎなかった。

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ところがてんとう虫の登場から顧客ターゲットは企業から一般大衆へと移って行く。一家に一台をスローガンに、その便利さから老若男女の誰もがマイカーを欲しがった。もう雨の日も風の日も停車場までチャリンコを漕いで、汽車に揺られ会社のマイクロバスに乗り込むなんて七面倒臭い事をせずに済むのだ。ドアtoドア、それはまさに夢のような話であった。

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朝の自宅では珈琲とトーストをほおばりながら、出発前にちょいと暖気をしておく。通勤途中ではいつもの自販機でタバコと缶珈琲を買い込み、なんの規制も無く思うがままに就業開始時刻までに駆け込めば良いお気楽出社が可能となるのだ。それだけではない。休日ともなれば家族で遠出とか、恋人同士が二人っきりになれる密室にもなり、車内ではあんな事もこんな事もそんな事まで出来ちゃうのだ。

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そりゃ般ピーも車に走るわな。そんなこんなで買えや乗れやの大騒ぎと化した日本は、瞬く間に自動車大国となった。そのあまりに急激な自動車保有数の増加に対して、道路の整備が追い付かなかったのも無理はない。日増しに交通量が増え続ける大ヶ峠も新道に切り替わる末期の頃は、日夜峠道のあちこちで仁義なき戦いが繰り広げられていたに違いない。沿道にはこの峠道が古くから使われていた事を示す石垣が見られる。

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その昔は馬車が似合うような街道的情緒をたっぷりと残した狭い未舗装路であったはず。今でもその名残を見る事が出来るが、時代の波に飲み込まれ、拡幅舗装化が進行。縁石にガードレールに各種標識が一斉に配備され、そこで道路状況は一変する。まさに大ヶ峠新時代の幕開けであった。しかしそれは長くは続かない。

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峠道の改良は小手先の突貫工事に過ぎず、本命は長大隧道という青写真が既に描かれており、峠道の拡幅工事はそれまでの繋ぎでしかなかったのだ。それでも大ヶ峠は現役を退くまで地元の期待を一身に背負いそれに応えた。みどりと観光の町美弥市へようこそいらっしゃいました。すっかり錆びきった峠の観光案内板に、現役当時の様子を垣間見る事が出来るが、その姿は何処か空しい。

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