ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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臼津峠(2)

★★

 

臼津峠の取扱説明書

現在は県道217臼杵津久見線として活躍する道も、かつて国道時代があった。というよりこの地に初めて自動車を通した道としてその歴史には重みがある。モータリゼーションの発達により、峠道のほとんどが改修を受けてしまい、今では開削当初の姿を留めている箇所はほとんど見られず残念ではあるが、臼津峠にのみ究極の残骸が残っていた事は不幸中の幸いと言えよう。現役の県道として見るとつまらない峠道も、かつてこの道でしか越えられなかった国道時代に思いを馳せて通れば、また違った感覚でそれなりに楽しめる道である。

 

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日中ならまだしも、夜間ともなれば薄気味悪いだけの峠に造成された公園。その正体は臼津峠開削当初の道路を埋め立てたものであった。公衆便所の奥に眠る小さな穴は、多少残土を投げ込まれてはいるが、完全に埋められる事もなく、人だけなら現在でも通り抜けが可能な状態であった。恐らく意図的に保存した訳ではないだろう。しかしお荷物的な存在の初代の穴を積極的に埋めて

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しまわなかったのは何故だろう。公園として整備した際に、危険を理由に塞いでしまう事も簡単に出来たはず。しかし臼津隧道を抜けた瞬間の掘割にはしっかりと穴が開いており、コンクリの噴き付けも初代の穴を意識しながら行われたようなのだ。土建屋が本気になればたった1日でこんな短くて小さな穴は完全封鎖が可能だ。なのにそれをしなかった。県や土木事務所は意図的に初代坑門を

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残したのだろうか?だとしたら案内板など設置するとかして、もうちょっと大事に扱われているはず。やはり放置され偶然今日まで残っていたと考えるのが自然だ。超マイナーなローカル国道とは言え、これはちょっとした奇跡である。開削当初から隧道全体が真っ直ぐであれば、きれいさっぱり初代は消失していたはずだからね。当時の技術不足が招いた嬉しい誤算という点では栗子隧道と

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肩を並べる貴重な物件である。竣工年や辿った歴史、道路のグレードそれに知名度と、どれを取っても比にはならないかも知れないが、欠陥構造により片側の初代坑門だけが、生き残ったという事実は何等変わらない。そう言えばひとつ書き忘れた事がある。初代臼津隧道の路面であるが、なんとアスファルトが敷かれていた!なんでそんな重要な事をもっと早く言わんのかねワトソン

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君!という声が聞こえてきそうだが、今の今まですっかり忘れていた。そう、初代臼津隧道の路面は砂利道ではなく確かにアスファルトが敷かれていたのだ。もう風化してしまって一部剥げ始めてはいたが、確かに一度は舗装が敷かれているのである。それはまるでオーパーツ(場違いな遺物)のようであった。だってさ、有り得んだろ。改修後の臼津隧道は路面にコンクリが打たれていると

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いう事実と、初代の臼津隧道はアスファルト敷きだったという事実は、どうやっても噛み合わない。昭和30年代天下の国道1号でさえ砂利道であった時代に、いち早くこんな片田舎の極狭隧道に、アスファルトが敷かれたとでも言うのだろうか?そんな馬鹿な!てゆうかだな、普通車も満足に通せないような状態の初代のまま国道指定されとか?もしそうだとしたら、新潟の中山隧道以来の

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ショッキングな出来事となるのだが、県はその事を知っていて、今日までわざと残したという線も捨て切れなくなってきた。これはもすかしてもすかするぞなもし。市街地へと滑り込む旧国道、そこに唯一当時の遺構が残っている。それがこの青看だ。かつての国道番号と現在の県道番号が同一という理由で、とてもナイスな有効活用であった。

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