ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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臼津隧道(2)

★★★

 

臼津隧道の取扱説明書

県道217号臼杵津久見線の臼津峠は、隧道によって峰越えを果たしている。両市内を結ぶ主要路として初めて自動車を通したとされる臼津隧道。現在は県道に降格しているが、新臼津トンネルが開通するまで、長らくこの道筋が国道として供用されてきた、筋金入りの旧国道である。当然の事ながら臼津隧道は大断面を持ち、普通車同士の離合なら楽勝でこなしてしまう今日どこにでも見られる一般的なコンクリ隧道である。だがそこにはいい意味で期待を大きく裏切る開削当時の貴重な遺構が今でも残されていたのだ。

 

臼津隧道2-1/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

臼津隧道を抜けると、やや大きめな掘割が視界に入る。そこを抜けると前方がパッと開け、市街地を一望出来る絶好のロケーションだ。いかにも峠を越えたという達成感を、強く残すインパクトのあるシチュエーションに、誰もがそこそこ記憶に残るであろう峠の形状をしている。トンネルを抜けるとそこは大海原でした!みたいな強烈な印象こそ無いものの、巨大鉱山の採掘現場に建ち並ぶ

臼津隧道2-2/ORR

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紅白に塗られた巨大な鉄塔が強く脳裏に焼き付けられる事だろう。そんな臼津峠には小さな公園が用意されている。ビニールシートを敷いて家族で昼食を楽しむには持って来いの場所だ。そんなの公園から峠を振り向くと、なだらかなV字曲線を描く臼津峠の稜線が見える。自動車道開通以前はそこを越していたのかどうかは分からない。そしてV字曲線の一番凹んだ箇所から目線を

臼津隧道2-3/ORR

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真っ直ぐ下に降ろすと公衆便所の奥になにやら妙なものが見える。早速近づいてみた。なんとそこには小さな穴が開いていた。公園の敷地内につき通行止などの看板類もゲートなども一切無かったが、坑門手前にはこれ以上奥へは入るべからずという意味を込めてだろう、頭大の石が無造作に組み上げられ、警告を促しているようであった。そんなボーダーラインは無視して、やや興奮

臼津隧道2-4/ORR

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気味の僕はどんどん奥へと分け入った。坑門は全く装飾をも持たない完全なるテボッチャーだ。荒々しいまでの凹凸の激しい岩盤剥き出し仕様は、どう見ても1世紀を経ているような代物だ。人為的に盛土をされた坑門付近は随分と狭い印象があったが、ひとたび坑内へと潜り込めば、そこには紛れもなく自動車を通す規格の、道路隧道であった事が窺える。緩やかに描く右カーブの先には

臼津隧道2-5/ORR

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対向の明かりが射し込んでいる。その距離は非常に短くも、瓦礫の山が所狭しと積み上げられ、隧道内の2/3以上を覆っていた。人一人が這いつくばってやっと抜け出せるようなスペースから何とか抜け出し、無事に貫通した地点はなんと臼津隧道坑門の真ん前であった。これはいったいどういう事なのか?僕はすぐさま新潟の旭隧道を連想した。吉野家地区から進入した場合すぐに右へと

臼津隧道2-6/ORR

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深く切れ込むあの状態だ。そしてもうひとつ浮かぶのが、栗子隧道明治坑門である。技術不足から坑口付近が曲がっていたものを、昭和の改修に伴い、直線に軌道修正したあの状態にそっくりだ。臼津隧道を抜けた瞬間左側に現れる小さな穴。間違いないだろう、これは臼津隧道竣工当初の姿である。現在我々が見ている臼津隧道は国道指定を受けた後の改修後の姿であり、初代の

臼津隧道2-7/ORR

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臼津隧道は坑口付近で内部は曲がっていたと考えられる。それも普通車1台が何とか通れるような狭く強烈なロングテボッチャーであったと推察できるのだ。2車線の直線化という大改修を施された際、ここに巨大な堀割が出現し、切り離された初代坑門は、かろうじてその一命を取り留めた。

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