ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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九人ヶ塔峠(1)

★★★

 

九人ヶ塔峠の取扱説明書

国東半島の付け根に位置する別府と中津の丁度中間付近の山中に、ゆくゆくは重要な土木遺産に指定されるであろう希少価値の高い隧道が眠る。近年宇佐市に吸収された院内町と安心院町。かつて隣り合っていた二つの町の境界線上に、その昔から人馬の通行さえ容易ならざる急坂険路の難所が立ちはだかっていた。明治末期においても依然として交通途絶であった九人ヶ塔峠に待望の風穴が開くのだが、ここは日本一の石橋の町を謳う旧院内町である。現存するターゲットの材質構造が石積みでなければ嘘である。手掘り隧道である可能性も多分に含む中、僅かな期待を胸に第一次調査に赴いたのが2000年の秋。そこで僕はいきなり全国区の超レアな代物を目にする事となるのだ。

 

馬場橋

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

橋梁の先に小高い丘のような低山が横たわっているが、今回のターゲットはその奥の更に奥に位置し、残念ながらこの位置からはまだ影も形も見えない。宇佐の長洲港へ通じる駅館川の支流のひとつ深見川に架かる馬場橋は、平成4年に架け替えられた近代的なコンクリ橋である。対岸の土台近くに居を構えるおばちゃんが、先代は年季の入った古風な橋であったと懐かしそうに昔を振り返る。

安心院大橋

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そしてこうだとも付け加えた。これでも昔は県道やったんよ、バスも通りよってな〜。一回り大きくなったという現在の馬場橋は、普通車同士の橋上離合を難なく許す規格から、バスが通ろうとも何等不自然ではない。しかし土地柄から想像するに先代は石橋、それも大型車一台の通過がやっとの狭い橋であったと考えるのが妥当で、そうなるとバスの通過も極めて危ういものへとイメージは大きく変わる。

九人ヶ塔峠

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沿道に隙間なく連なる家々の軒が視界を遮り見通しが悪い上、大型車と普通車の離合さえ不可能な1.5車線路が昭和の末期まで現役の県道であったという。深見川を100mほど下った所に現在の県道42号山香院内線の安心院大橋が架設されている。この主要県道が大型車同士の橋上離合を許したのが昭和50年の8月でそれまではこの狭い一本道が、増加一途の交通量を一手に引き受けていたのである。

九人ヶ塔峠

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今でこそ安心院から院内へは国道500号線を行きーの、宇佐・中津方面へは県道40号線を下りーのと必要に応じて使い分けが可能だが、ほんの十数年前まで国道500号線は単なる県道であったし、もっと遡れば九人ヶ塔峠を越す以外に道らしい道などは皆無に等しかったのだ。

九人ヶ塔峠

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近年格下の県道がいきなり国道へと二階級特進し、まんまと出し抜けを食らった形だが、この道は古くから重要な幹線道路として供用され、宇佐別府道路や両院広域農道など次々と開通する利便性の高い後輩達の脅威に晒されながらも、主要県道としての価値及び地位は揺るぎなく、天変地異でも起こらぬ限り今後もそれは不変であろう。

下市百穴

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鉄路に見る築堤のような盛り土の上を通る旧県道は微妙に違和感を覚える線形をしているのだが、下市百穴の案内によれば当区間は大正時代に造成されたものであるという。実は旧県道の道床壁面に奇妙な穴が無数に開いているのだが、これは古墳時代の横穴古墳であるという。百穴というだけあってその昔はかなりの数が存在したとの事であるが、大正期の道路整備により一部が失われ、現在は60基余が残るのみであるという。

九人ヶ塔峠

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馬場橋から見た小高い丘の頂上付近で、旧道は安心院大橋を跨いで来た現県道と交わるのだが、旧道の利用率は想像以上に高く上下から四輪が引っ切り無しにやって来る。この利用頻度を見せつけられては安心院大橋一本に委ねる事なく馬場橋の付け替えも腑に落ちる。

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