ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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九人ヶ塔峠(2)

★★★

 

九人ヶ塔峠の取扱説明書

国東半島の付け根に位置する別府と中津の丁度中間付近の山中に、ゆくゆくは重要な土木遺産に指定されるであろう希少価値の高い隧道が眠る。近年宇佐市に吸収された院内町と安心院町。かつて隣り合っていた二つの町の境界線上に、その昔から人馬の通行さえ容易ならざる急坂険路の難所が立ちはだかっていた。明治末期においても依然として交通途絶であった九人ヶ塔峠に待望の風穴が開くのだが、ここは日本一の石橋の町を謳う旧院内町である。現存するターゲットの材質構造が石積みでなければ嘘である。手掘り隧道である可能性も多分に含む中、僅かな期待を胸に第一次調査に赴いたのが2000年の秋。そこで僕はいきなり全国区の超レアな代物を目にする事となるのだ。

 

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安心院の町中を飛び出した県道40号線は、九人ヶ塔峠が待つ小高い丘へ向かい緩やかな勾配で駆け上がる。深見川上では100m程の距離を隔てた新旧の両県道は、大きく広く掘り割られた交差点の手前でひとつになる。県道の進行方向に見られる大規模なオープンカットを見て初見であればそこを峠と勘違いしてもおかしくはないが、ターゲットはまだずっと先に位置し

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ここは深見川を境に数十mの高低差が生じる高台の端へと上り詰めたに過ぎない。旧道の利用率も結構なものだが、交差点を右折すると家族旅行村があるため、車両が途切れる事を知らない県道と合わせ、この交差点は実に忙しい。直進は昭和50年頃に開削された昭和新道で、歩道を完備しない点を除いては韋駄天の近代道路である。右へ90度折れ曲がる急坂が

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旅行村へ通じる比較的新しい道で、大正時代に造成されたという旧道は、前途した両者の中間付近右斜め45度の木陰に身を潜めるようにして今でも辛うじて通じている。現在は旅行村の駐車場として利用されており何人も通り抜けは可能であるが、用途が駐車場に変更されている故、大幅に上書きされた大正道は旧道らしさをざっくり削がれている。もう道路として供用

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されていた当時の何もかもが失われていると思った矢先、路傍の片隅に小さくうずくまる何かを捉えた。左の斜面が道路と純粋な接点を持つのに対し、右の斜面には違和感のある段差が生じている。びっしりと壁面を覆う落ち葉を払い避けると、高さ30cm程の石垣が姿を現した。それが昭和後期の駐車場整備で出現したものとは到底思えない。むしろ前方の薄暗い谷間

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へと吸い込まれる旧道の遺構と考えるのが自然だ。駐車場を抜ければ大正時代に開削されたであろう由緒正しき車道が悠然と構えている。普通車の相互通行にも支障をきたす実質1.5車線しかない旧道の一部にセンターラインが見られ一瞬唖然としたが、この旅行村にはよっぽど人が集まるのだろうか、なんとこの白線は駐車場の枠として敷かれたもので、他の

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用途に転用し辛い県道跡地を臨時駐車場として使おうという貪欲さには驚いた。警備員に誘導されるがままに導かれても、そこが元車道である事は誰の目にも明らかな立派な掘割が宇佐方面へと続いている。大型車一台でも入って来ようものなら一溜りもない狭さ、それが九人ヶ塔峠に見る大正道の現実であり、それが昭和後期まで実際に主要県道として供用されて

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いたのである。遥か前方には矢継ぎ早に通り過ぎる車両の姿が見られ、巨大な掘割にて通された昭和道と大正道とが再び交わろうとしている。深さ10mほどを掘り割って通された旧県道の広範囲に亘る壁面に、大正期のものと思われる程良く苔生した石垣の姿を捉えた。

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