ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

トップ>旧道電撃ネットワーク>南東北>山形>大峠

大峠(17)

★★★★★

大峠の取扱説明書

全国に大峠と名の付く峠は数あれど、最も名の知れた大峠とは福島と山形に跨るこの大峠を指すのだろう。決して派手な訳ではなく、現役時代はかなり地味な存在であったと伝え聞く。僕はこの峠の現役時代を知らない。大峠越えがいかに困難であったのか、旧道となった今では想像するしか手立てはないが、かつてこの道に車両が通っていた時代の再現を試みたい。と、これまでも幾多の勇者達がこの峠に挑み、そして散っていった。他聞に漏れず若かりし日の僕も大惨敗を扮し苦汁を舐めた。だがこのまま黙って引き下がる訳には行かない。狙った獲物は必ず仕留める。だがやってやれない事もある。負け戦と知りつつも男なら逝かねばならぬ散らねばならぬ大峠。道路に人生を捧げた男の生き様を見るがいい。

 

大峠(国道121号線)17-1/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

という訳で僕の記憶が正しければ、山形側に近年新たに?設けられたゲートの前に置き去りにした三重塔と無事にご対面となった。大倉沢橋のゲートを突破した我々にとって、最後のゲートなど赤子の手を捻るようなもので、我々の前では何の意味も成していない。それに最終ゲートは時折開放されていたりもするので、やはり難関は大猿倉沢橋のゲートという事になる。赤い鉄骨と強固な

大峠(国道121号線)17-2/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

ゲート。この二つを単独でクリアするには肉体的にも精神的にも相当タフでないと無理だ。今回は初物尽くしである事と事前情報を一切仕入れていないというマイナス要因をロリエさんとの共同作業にて何とか切り抜けた。もし単独での侵攻となると無事に突破できたかどうかは疑問だ。それに全道程を走り終えた現在でも単独で突っ込むかどうかは非常に迷う所だ。勿論大峠に愛着も親近感も

大峠(国道121号線)17-3/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

ない僕は、二度と越えようなんて思わないだろう。ただ完全に大峠を封印するのかと言えば、実はそうでもない。まずあの鉄骨をあそこまで捻じ曲げておきながら、中途半端に放置されているのは何とも頂けない。もう少しドカ雪が降ってあの鉄骨を完全に倒しきってほしい。その上で自然災害による土砂やら路面がタイヤ1本分しかないなどのステージが新たに展開するならば僕は再び大峠に

大峠(国道121号線)17-4/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

帰ってくるだろう。旧道は最後の最後まで断崖路を突き進み、途中から取り付けるような場所はどこにも見当たらずエスケープルートの無い、完全な1本道であった。下界へと辿り着くと、最初に現れるのが大峠から見た鉱山へと通じていそうな砂利道との分岐だ。そこを過ぎればようやく現道との再開である。大峠旧道は最後の最後に素敵な道路遺構を用意してくれていた。なんとも立派な

大峠(国道121号線)17-5/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

橋梁である。この橋の名を普洞澤橋という。大猿倉沢橋に埋め込まれていた銘板では「沢」の部分が「澤」となっていたが、ここも同様であった。途中で見た同じ形状の橋はどれも同年代のものと思われ、最も小さな瀧ノ上橋に大猿倉沢橋、それにこの普洞澤橋であるが、そのどれもが昭和初期から中期を髣髴とさせる懐かしい形状で、僕がまだ幼い頃B21の地上波による爆撃から逃げ惑い手回し

大峠(国道121号線)17-6/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

チャンネルをコロコロ変えている時代はこのような橋も珍しいものではなかった。だが次第に幹線道路からは次々と姿を消し、今ではほんの一部の橋梁が残されているに過ぎない。まんま道路博物館と化したこれらの貴重な橋梁は、今でも現役で通行可能というものも少なからず存在し、普段何気なく通っている近所の道にも、お宝物件が誰にも気付かれずに眠っているのかも知れない。

大峠(国道121号線)17-7/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

普洞澤橋に埋め込まれた銘板には昭和十三年竣工とあった。昭和の香り漂うこれらの遺構が次の世代へと引き継がれる事を切に願い、普洞澤橋を渡ると現代の普洞沢橋を潜り、現道との合流にて大捕り物は幕を閉じた。これまで難攻不落の空の要塞と長らく言い伝えられてきた謎多き大峠に終止符を打ち、我々は大峠を後にした。

大峠16へ戻る

トップサイトナビゲーター管理人について感想・お問い合わせ