ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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鳥居隧道(2)

★★★★

 

鳥居隧道の取扱説明書

供用年数が比較的短かった為か、それとも峰越えルートが脚光を浴びている為か、国道19号線鳥居峠に初めて突かれた隧道は、誰にも注目される事なくひっそりと余生を送っている。市販の地図にもその存在は記されているが、余りにも小さ過ぎてその存在にほとんど気付く事はない。現道の鳥居トンネルが1977年に開通するまでの間、日本の高度成長期を支えてきたと言っても過言ではない屋台骨の鳥居隧道とはいったいどのようなお姿をしているのだろうか?

 

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インチキ2車線は鳥居隧道の手前にある栃窪隧道で既に明らかで、そこは大型車同士の内部離合を許していない。しかし栃窪隧道は延長距離も短く、直線なのでまだいい。問題はこの先に眠る1km以上もある長大隧道の方だ。栃窪隧道を抜けると鉄パイプを通された欄干を持つ懐かしいタイプの栃窪橋に差し掛かる。橋梁も隧道も一体のものとして同時期に着工されたもので、銘板を見る

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限り鳥居隧道を含めたそのどれもが昭和30年である事が分かる。戦前ならともかく戦後10年が経ち、焼け野原からたった10年で戦前の状態にまで戻した日本の驚異的回復力からして、その先どれほどの経済成長を遂げるのかは、ある程度の予測はついたはず。だが流石にその後たった20年で、GNP(国民総生産)世界第2位の経済大国になろうとはいったい誰が想像しただろうか?たった

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1発の爆弾で、ひとつの都市が吹き飛び、草木も生えないと言われた街に、ビルやマンションが建ち並び、その隙間を時速200キロで駆け抜ける高速鉄道が出現するなど誰が予測できたであろうか?世界中から奇跡の回復力と言われ、今や伝説と化した高度経済成長の夜明け前に竣工した鳥居隧道。現代から見れば中途半端な2車線という不可解な構造体も、当時の時代背景と絡めて

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考えれば、それも仕方ない事であったのかも知れない。普通車同士の内部離合にしか対応していないという規格は理解できるとして、では何故同時期に竣工した栃窪隧道は全面コンクリで鳥居隧道が石組みなのだろう?そこに建設省の意気込みが感じられるのだ。それまで1車線の砂利道の峰越えルートしか存在しなかった峠に待望の隧道である。それはもう道路史に残る一大事業で

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ある。コンクリートが当たり前である時代にあって、あえて坑門を石組みにする事により格の違いを見せつけ、当路線最大の難所に始めて風穴を開けたという意味も込めて、威厳を保つ為の施工ではないだろうか。現代ではどれほどの大事業であろうとも、坑門の装飾に手間隙をかける事はない。その時間はどれほど安全面での設備を誇るかに集約され、概観は軽視されている。だが

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当時は坑門こそが全てであったと言っても過言ではない。坑門、それは人間に例えれば顔である。人形は顔が命であるように、隧道も顔が命なのである。少なくともそういう時代があった。だからこそ我々はのっぺらぼうと化し、画一化された現代トンネルなど見向きもせず、昔の隧道に惹かれるのではないだろうか。鳥居隧道は装飾から設備へと施工関係者の意識が大きくシフトする転換期に

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おける最後の大物遺構なのではないか。来るコンクリ時代に向けて職人達は最後の技をここに惜しみなく投下した。完成した鳥居隧道を前に施工者達はこう叫んだに違いない。これで装飾はお終マイケル!その後日本はGNG(国民総ギター侍)世界第1位、GNH(国民総HG)世界第1位を獲得するのは周知の通りである。

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