ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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宇津之谷明治隧道

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宇津之谷明治隧道の取扱説明書

東京と大阪を結ぶ我が国の大動脈に立ちはだかるは箱根、鈴鹿、宇津之谷の峠御三家である。特にここ宇津之谷峠は古代から現代までの道が一極集中している事でも名が知れており、土木ライダー土木チャリダーのみならず、古代の道はハイカーの間でも有名だ。また近年では団塊の世代の健康志向を狙って東海道踏破ツアーなるものが催されそうな勢いで、初代のレンガ隧道は正直影が薄いと言わざるを得ない。古道から平成トンネルまでなんと親子六代にも渡る峠の遍歴を持つ宇津之谷峠。その三代目にあたり峠に初めて自動車を通した明治のレンガ隧道について語ろう。

 

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

僕が初めて宇津之谷峠を越した時は、既にこの峠は五代目の昭和トンネルもすっかり脂が乗り切った頃に差し掛かっており、金余ってんどー、そろそろもう一本突くべ!というバブリーな時期であった。まさか自分が抜けたトンネルが自動車道としても三代目、古道から数えると実に五代目という老舗であったなんて当時の僕は知る由もなかった。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

当然自動車に対応した道が先代、先々代と存在している訳で、その事に気付いておきながら実際に現地調査が実施されたのはORR発足後の事である。何故そこまで延期されたのか。答えは簡単だ。宇津之谷峠は流れが良いからである。朝夕のラッシュ時はどうか知らないが、日中や夜間はエンジンブルブル絶好調で、そこに立ち止まる意味を見出せなかった。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

ORR発足後もこの上に大正隧道と明治隧道があるよな〜と思いつつ、完成して日の浅い六代目の平成隧道によって瞬く間に峠を越していたのだ。片側2車線の快走路、そう簡単に止まれる訳がない。気を付けよう車はすぐには止まれないの標語、あれは本当だ。赤信号みんなで渡れば怖くない、これも本当だ。閲覧者同情するなら金をくれ、これもマジだ。姉ちゃんが寝ている間に揉んじゃった。これはネタだ。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

そんな数々の輝かしい標語を生む宇津之谷峠の三代目にして初めて自動車を通したのがこの明治のレンガ隧道だ。竹林に覆われた常時陽の当たる事のない薄暗い山肌。湿気を帯びた重たい空気に包まれ、掘割の石垣はすっかり苔生している。その先に口を開くは日本初の有料トンネル宇津之谷明治隧道だ。坑門は決して派手ではなく非常に落ち着いている。保存状態は良好で損傷箇所は全く見られない。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

内部も路面以外はオールレンガ巻きだ。ただし開通当初の姿は現在とは異なっていたという。内部は屈曲し路面もガタボロ。そんなんで金取るなよ〜という点においては、基金導入時のORRに酷似している。いつの時代も変わらぬ人間模様が垣間見えた。現在の姿に変わったのは明治後期の火災後からだそうだ。現在我々が見ている姿であれば有料でも充分耐えうると思われるが開通当初が、もし単なるテボッチャーだったとしたら通れ通れ詐欺だ。

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

内部屈曲に路面の凹凸、向こうの明かりは見えない、おまけに照明無しときたら、いくら徴収員の片玉無料サービス付きであったとしても、まっぴらごめんだ。開通当初がどれほど酷かったかは分からないが、少なくとも明治後期からはバス1台がまともに通れるようになった事だけは確かだ。ただし昭和中期までは路面が砂利道であったに違いない。

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現在は内部路面も整備され、見違えるように綺麗になっていて照明も完備しているが、その姿から現役時代を想像するのは難しい。出口の屈曲がとても天下の国道1号のものとは思えないのだ。裏を返せばここ数十年で急速にモータリゼーションが発達し過ぎたという事であり、いささか時代の移ろいが早過ぎやしないかと思う今日この頃である。

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