ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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小阪隧道

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小阪隧道の取扱説明書

矢ノ川峠を総本山とするこの賑やかな界隈において、一種独特のオーラを放つのがここ小阪隧道である。見る者を圧倒する優美な外観も然る事ながら、竣工が昭和なのに石組みという点に、竣工から供用開始まで十数年という空白の期間がある事も手伝って、波乱万丈に満ちた小阪隧道の生い立ちは、峠との接点を片面しか持たないミステリアスな側面と合わせ、一度調査に着手した者の心を掴んで放さない。R42の旧廃隧道群の中では異質なマスクを持ち、木本隧道とバッテリーを組み一時代を担い、今日の佐田坂の基礎を築き上げたという点でも、歴史の闇に葬り去るにはもったいない傑作だ。文化財としても大変貴重な小阪隧道。今宵その全容が明らかとなる。

 

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ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

熊野灘を背にして宮川沿いを駆け上る事約5kmの地点に、その道路遺構は静かに眠りについていた。今はもうそれを脅かす者など何ひとつない。例外として一部の物好きな嗜好家達を除いては。熊野を発ちR42の佐田坂を上り詰めると、険しい谷間のドン詰まりである宮川源流点付近に、かつての名残と思わしき無駄に膨らむアスファルトが、その存在を確かなものとして、僕を招き入れた。

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営業車の休憩場所として、また山仕事のおいちゃん達の駐車場として、いつも何等かの車両によって占拠されている事が常となっているその場所が、旧道の残骸である事を知ったのはそれほど昔の事ではない。1966年2月竣工のややくたびれた感のある小阪トンネルも、気が付けば40年以上が経過しており、歩道を完備していないそれは、時代遅れの代物と言われても仕方のない必要最低限の設備しか備えていないシンプルなコンクリトンネルだ。

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その傍らには隧道としては初代の、車道の峠道としては二代目にあたる小阪隧道が、薮の奥深くに悠然と身構えるその姿に、例外なく誰もが圧倒されるに違いない。その意匠はまるで鉄道トンネルに対抗するかのような凝り様で、デザイナーのつば迫り合いを演じた結果の賜物である事は容易に想像が付く。

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上から笠石に扁額、帯石にリングアーチ、そしてなんと言っても前面に張り出した極太の門柱が、単なる平面でしかない坑門に立体感を持たせ、まるで神殿のような厳格な井出達は威圧感を伴い、見る者の魂を揺さぶるかのような凄みで鬼気迫るものがある。またその巨大な口から定期的に吐き出される靄も、何だか呪い掛かっているようで、首筋にひんやりと纏わり付く感じがたまらなくキモい。表層は総石組みで、国の根幹を成す主要国道に築かれた隧道だけあって、その装飾は文句無しに立派だ。

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坑内に立ち入る事はできないが、覗き見る限り内部に設置された一回り小さな扉のようなものが確認され、廃止後にキノコ栽培など別の用途で使われた可能性が高いが、今は完全なる放置プレイとなっている。峠を挟んだ飛鳥側は大幅な地形改変が成され、昔の面影は微塵も感じられず、坑門自体が消失したのでは?と疑念を抱くほどの変貌ぶりであった。

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現道からのアプローチは両側共にダートのままで、当時の状態を維持したまま廃されたのは確実で、往年の様子を色濃く留め今に伝えている。竣工は昭和13年で供用開始が昭和24年、引導を渡されたのが昭和41年で、小阪隧道が実質18年という短命に終わった。

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その原因のひとつとして、普通車同士の内部離合さえ困難な狭い幅員が挙げられるが、やはり最大のネックは太平洋戦争の激化によって、空白の11年間を無駄に過ごさねばならなかったという悲劇に見舞われた事だ。これほどの道路隧道にそうそうお目にかかれるものではなく、僕個人としては熊野古道とセットで、矢ノ川峠共々世界遺産に登録してもらいたい極上物件であり、国の有形文化財への登録は、最早時間の問題とさえ思える逸品である。

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