ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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木本隧道

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木本隧道の取扱説明書

昭和13年小阪峠に風穴が開く遥か以前の大正14年、熊野灘を背にする海岸沿いの町外れに、木本隧道は静かにその産声を上げた。峠の小阪隧道と海抜0mに近い海沿いに位置する木本隧道。生まれも育ちもこ違うこの二つの隧道は、その後どうしようもない時代の波に呑み込まれ、互いに想定外の進路を歩んだ後にバッテリーを組み、国の根幹を成す国道へと昇格するという数奇な運命を辿る事となる。それは予め行政によって用意周到に計画されたシナリオに基づく、巨大プロジェクトの一角を成す重要なポストにあった事を彼等は知らされていない。要となる現R42の原型である佐田坂新道工事の大幅な遅延により、本来の実力を持て余す事なんと24年という途方もない歳月で計画が実現するも、行政が描いた青写真が実際に稼動するまでに要した時間は余りにも長過ぎた。遅過ぎた春とは言え、石組みの小阪隧道とレンガ積みの木本隧道という異色のコンビは、僅か17年という短命に終わるも、国道42号線の基礎を築いたという点で、後世に語り継がねばならぬ逸品である事に変わりはない。

 

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現在のR42は防波堤の役目も同時に果たす形で、海岸線の築堤にて市街地をパスする。その昔は街中の狭い路地を縫うように国道が走っていたなんて、今では想像も付かない。その一角に見覚えのある信号機の無い五叉路がある。水呑茶屋というバス停があったとされるそこは、左折が御存知明治大正昭和初期と激動の時代を担った、熊野街道初の車道である評議峠へ至る旧旧道で、後継となる旧道は直進した先の熊野古道松本峠直下に、問題のターゲットが口を開けて待つ。

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小阪隧道とバッテリーを組む昭和24年より遡る事24年も前の大正14年に開通した木本隧道は、峠を挟んだ隣町の大泊という小さな漁村とを結ぶ単なる地域密着型道路として密かに開通した。勿論当時はR311も紀勢本線も通じていない陸の孤島に等しい僻地で、木本へ抜けるには荷車さえ通さない松本峠を越えるしか手はなく、そこに自動車をも通す近代的な隧道が突かれたのだから、大泊の住人にとってその喜びようは半端でない。

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だが木本隧道の目的はそんな小さなものには収まらず、とてつもなく巨大なプロジェクトの一角を担うポストにあるとは露知らず、しばらくの間はその正体を隠したまま、地域住民の為だけに存在し続けた。それは現代の高速道路が暫定的に部分開通した区間だけ無料供用し、来る全線開通まで地域住民を泳がせておくのに似ている。

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木本隧道は開通後も自身に課せられた本当の任務を知らされぬまま、主役の座を譲らぬ評議小阪の両峠に甘んじていた。この時点で木本隧道は自身が次代を担うスター候補生である事に気付いていない。本来はこの隧道を潜り抜け尾鷲へ至るはずであった史上最強の路線バスも、木本隧道の存在は認めつつも、相変わらず五叉路を左折する毎日で、評議小阪の両峠の縦走を余儀なくされた。

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一方小阪隧道が貫通してからも激化する戦争によって佐田坂の一部で工事が中断し、木本隧道は贅沢過ぎる田舎道として、その実力を無駄に持て余す日々が続いた。昭和24待ちに待った佐田坂新道の全線開通に伴い、主要路線に組み込まれた木本隧道は、行政が用意した本来のポストに就いたものの、主役に躍り出た時点でもう時代遅れの産物となっていた。

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後に造られた小阪隧道の断面より一回りも小さく、大型車一台がやっとの木本隧道は、戦後急速に押し寄せるモータリゼーションの波によって、たった十数年で限界を迎え三行半を突きつけられた。これは設計にあたった岩井藤太郎氏も計画した行政側にとっても大誤算であった。あの忌まわしき戦争さえ無ければ、華麗なる一族として華々しい活躍をしていたであろう木本隧道は、末期は加齢なる一族へと失墜した。

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だが後に伝説の路線バスを通した事で、矢ノ川ロイヤルファミリーに加わった木本隧道は、レンガにテボッチャーという組み合わせのみならず、岩井作品の中でも唯一門柱を備える希少性と現役の道路である事も手伝って、R42に現存する旧廃隧道の加齢なる一族の中でも突出した逸品と言える。

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