ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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年田隧道(1)

★★★

 

年田隧道の取扱説明書

現在は国東半島への玄関口として単なる通過点となってしまった杵築。かつて城下町として一時代を築き杵築を起点に放射状に延びていた街道筋も今では見る影もないが、時代が明治に変わってから改修を受けた道路は今日でもその痕跡を容易に辿る事ができ、極稀に改修当時のまま現存するお宝物件に当たる事もある。年田隧道もそんな希少性の高い物件のひとつだ。このたびはれて年田隧道が明治時代の遺構である事が確定した為、最新の状況と史実を交えながら当物件を可能な限り掘り下げてみたいと思う。

 

年田隧道

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

今回の起点はこの何気ないT字路であるが、杵築市民でも?となるこの位置を簡単に説明すると、国道213号線野田トンネルの南側手前から派生する市道をのらりくらりとやってくると自動的にこのT字路へと辿り着く。猪野川を跨ぐ小さな橋梁の先に河川敷より少し離れた高台を遡上する小径が奥へと続いているのが見える。今回のターゲットはその先に眠っている。丁度

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空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

そこに郵便カブが通りかかったので様子を見ていると、峠へ上り詰める事もなくあっさりと引き返してきた。猪野川沿いに根付く集落と一山隔てた向こうの集落とは集配管轄が異なるのだろう。広域農道や県道など複数の便利な道が取り囲む現代の交通事情を持ち出せば、この峠道は完全に役目を終えており、今でもこうして供用されている事の方が不自然に思えるが

年田隧道

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

少数派ながらこの峠道を日常的に利用している者がいるのだ。最短路にも抜け道にも成り得ぬ完全な当地域限定の知る人ぞ知る生活道路であるが、その昔は結構な車両がこの峠道を往来し、そこそこ賑わいをみせた時代もあった。今回はそう言い切れるだけの確かな証拠を掴んでの参戦につき、賑やかだった頃の様子はそれなりにイメージが可能だ。すっかり忘れ

年田隧道

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

去れた過去の古道かと思いきや、ここに来るたび必ず数台の車両とすれ違い、それはこの峠道を必要としている人間が今も少なからず存在し、微弱ながらも利用価値があると認められるからこそ今日までこの道は生き永らえてきたのだろう。でなければとっくの昔に廃れていたはずだ。路面が簡易コンクリで上書きされた今でも往年の雰囲気は随所に垣間見られ、人工

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www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

物が全く見られない点に加え車両の離合を起点から終点に至るまで意識しない狭路の設計は次の二点に絞られる。現代であれば一般車両の通行を考慮しない林道であり、一昔前であれば極端に通行車両の少ない馬車道であるが、当路線は完全な後者に属する。峠の前後という局所に絞って見れば、一山越した集落との連絡道路として後付けの峰越連絡林道の

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ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

ように見えなくもない。しかし範囲を拡大しこの道が果たす真の役割を読み取れば、ここがその他大勢の市道に収まる格下道路とは一線を画す主要路という側面が見えてくる。峠道で最大勾配且つ急カーブを描くこのポイントで、馬が喘ぎながらも一歩ずつ確実に路面を踏み込み、泥田状のグリップの利き難い悪路を、馬車引きと供に馬が超低速にて前進する様子が

年田隧道

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

ありありと目に浮かぶ。何故ならばこの道が明治由来の馬車道であるからに他ならない。もうこの道が開削された当時の様子を語れる者はおらず、往年の状況を知るには現存する資料に頼るほかないのだが、あらゆる角度から検証しこの道が必要とされた理由や竣工年度等を考察を交え徐々に絞り込んでゆく事としよう。

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