ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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川原隧道(4)

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川原隧道の取扱説明書

昭和初期、大正、明治と様々な時代の隧道を調査してきたが遂に江戸時代の隧道の登場である。しかも単なる手掘りではない。日本土木史上稀に見る貴重な物件である川原隧道とはいったいいかなるものなのだろうか?

 

川原隧道4-1/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

50m強ある川原隧道の先には出口の明かりが確認出来ほとんどストレートである事が分る。路面は勿論ダートであり幅員は軽自動車が入るかどうか際どく四輪で通過するならばもはやミゼットしか考えられない。高さは尖っている中央部で何とか立っていられる程度で2mもないようである。

川原隧道4-2/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

江戸時代において日本人の平均的身長では何の違和感もなかったのかも知れない。隧道の中央部で石組みが途切れテボッチャーになった。ここだけはかなり広く取られており、もしかしてここは離合箇所なのだろうか? 江戸時代の隧道に内部離合箇所を設けるという概念が存在していたとしたら、これは凄い事である。

川原隧道4-3/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

峠を越すのが当たり前の時代に隧道を掘削し周囲を強固な石で組み内部離合箇所まで設置していたとしたら歴史を覆す事になってしまう!俺のね。この事は今度の学会で発表する!(←どこのだよ?)中央部の広い空間から先はまた同じ石組みで造られているが、どのように組んであるのかが断片的に見る事が出来る点でも日本土木史上稀に見るお宝隧道である事が分る。

川原隧道4-4/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

川原隧道は江戸ッチャー→テボッチャー→江戸ッチャーという造りで内部外観ともに他の隧道群とはまさに一線を画かしている。遂に未知の領域である江戸時代の隧道にまで踏み込み、一線を超えてしまった事にへなりプロデュース新人アーティストを投入せねばなるまい!洋式globe第一弾で〜顔面〜

川原隧道4-5/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

旧道が壊れてく

道がときどき なくなり

晴れた日は 月夜沢

自分の抜け道を知ってる

La… La

La… La

La… La

La… La

川原隧道4-6/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

廃道は毎日で

悔やまれることが多すぎて

隧道が消えてゆく

でも情熱はいつまでつづくの

 

少しくらいは きっと役にはたってる

でもときどき 自分の生きがいが

消えてく

川原隧道4-7/ORR

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

酔ってたり 呆けてたり 

吸いついたりして

そんなんばかりが へなりじゃない

 

鏡に映った 諭吉と2

情けないよで たくましくもある

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