ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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旗返隧道(2)

★★★

 

旗返隧道の取扱説明書

かつては自動車を通したとされる旗返峠。そこは直接鞍を跨ぐのではなく、隧道によって車両を通していたのである。当時の残骸が僅かではあるが、今も峠に残っている。その一種異様な光景は、ここを訪れる誰もを釘付けにするだろう。坑門そのものは決して特別な物ではない。だがここへ至る過程と合わせて考えると実に奇妙な点が多く、一筋縄ではゆかない旗返峠の謎は、今でも多くの人々を惹き付けて止まないのだ。まるで微笑みかける悪女のように。

 

旗返隧道2

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遂に現場に達した。この斜めに横たわる巨木こそ、人工的にではなく台風の仕業で、道路の右手前から左奥へ向かって、いかなる車両も通しはしない屈強なゲートの役目を果たしていた。当然商品としての価値ある太さの杉なのだが、折れてすぐに処理をしなかった為か、ゲートとしての役割も兼ねてなのか、自然災害がもたらしたものではあるが、わざと撤去しないのかも知れない。

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ターゲットは巨木の先に、小さくその口を開けて待っていた。巨木の先もほぼ壊滅状態に等しく、近づくのも容易ではない。完全に腐り切った倒木と比較的最近折れた木が重なり合い、全体重をかけると極太の木が突然折れたりと、足元は非常に不安定である。手の届きそうな位置にあるはずの旗返隧道坑門がやたら遠くに感じた。初回を含めて数回は坑門前まで車両を何とか持って来る事は可能であった。

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しかし大分を直撃し多数の死傷者を出した台風の威力は凄まじかった。延岡と神話の里である高千穂を結ぶ第三セクターの高千穂鉄道は、橋梁が落下し線路は押し流され、試算では復旧に要する費用が40億とも言われ、赤字続きのローカル線にとっては途方もない金額の前に、全く開通の目途は立っていない。当初は部分的開通を目指したが、復活を望む市民の声も空しく、旧国鉄時代から数えて70年の歴史に幕を閉じる。

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お別れ列車さえ運行できずに消え行く路線に、僕は悲しみと供に一抹の不安を覚えるのだ。たった一発の台風を喰らっただけで、ひとつの路線が一夜にして消えて行く。これは全国各地のローカル線に突きつけられた現実である。こういった事を耳にするたびに、僕にはいったい何が出来るだろうかと自問自答するも、今の無力な自分では何もしてあげられない。

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出来る事と言えば、せいぜいそういう現実があるという事を、ひとりでも多くの人にサイトを通じて知ってもうらう事くらいか。それをするにもお金がかかるという現実、そしてこの目の前の県道さえどうにも出来ないという現実。ポシャったらそれまでだというのは余りにも空しい。旗返隧道坑門は坑門というより地中に埋め込まれた巨大な土管の様相を呈していた。

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コンクリートブロックを丁寧に積み上げた工法は珍しいが、そこにはアーチのみしか存在せず、斜面に穴を開けコンクリで内壁を整えた所で工事が中断してしまった、そんな感じさえする旗返隧道の坑門。それを潜るとすぐに天井が突き破られ、大量の土砂が流入し完全閉経しているのが確認できる。だがちょっと待って欲しい。これは圧壊ではなく、単なる山肌ではないのか?

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もし圧壊であるならばその真上の斜面に巨大な凹みがあってもいい。しかしそんなものは見当たらない。常識外れを覚悟で大胆な予想が許されるならば、僕の見解はこうだ。旗返隧道は貫通していない!つまり旗返峠を越えた車両など過去1台も無い。全通を見ずに廃道化。ラビリンス旗返峠との闘いはまだ始まったばかりと言えるのかも知れない。

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