ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

トップ>隧道電撃ネットワーク>北九州>大分>箕ヶ岩洞門(箕ヶ岩明治隧道)

箕ヶ岩洞門(箕ヶ岩明治隧道)

★★★★

箕ヶ岩洞門(箕ヶ岩明治隧道)の取扱説明書

明治初期の国東半島には周回道路というものがまだ存在せず、沿岸部をぐるりと取り囲む道路の構想は手放しで喜べるものはなかった。何しろそれまでの常識では波打ち際を行き交う者は常に死と隣合わせであり、引き波にさらわれる事もしばしば。それは親知らず子知らずなどとして現代にも広く一般に語り継がれている。かくいう僕も離岸流の恐ろしさを実際にこの目で見た一人で、浅瀬で互いの距離が5mも離れていないのに、友人の山田君だけがあれよあれよと言う間に沖へと流され、ライフセーバーに救助されるのを目の当たりにした。てっきり山田君はイルカに乗った少年とばかり思っていたが、それが離岸流の仕業である事を後に知る事となる。あれ以降山田君は、今夜が山田と呼ばれている点も離岸流の恐るべき後遺症で、航路が主流であった国東半島に、海岸道路を通すなど狂気の沙汰と揶揄されても時代背景からすれば致し方ない。海岸道路など本当に成就するのか?近隣の村人達の間にそんな懐疑心が渦巻く中、当地において逸早く産み落とされたのが箕ヶ岩洞門である。その存在は町史などの文献上には登場するも、すっかりコンクリの壁に覆われた箕ヶ岩を見る限り、それは今日の今日までこの世から抹消されたものとして処理していた。だがジェイソンは生きていた!

 

箕ヶ岩洞門(箕ヶ岩明治隧道)

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

国東半島に連発する旧廃隧道群の中でも、とりわけ竣工年だけを見れば、最古の部類に属す箕ヶ岩隧道。時代を遡る事それは明治一桁という途方も無く遠い昔のある日、それまで間道という下級道路として扱われてきた海沿いの牛馬及び人しか通れぬ頼りない道筋は、何がどう間違ったか主要路として突如位置付けられる事となる。現在我々が見られる箕ヶ岩隧道は、開削当時とは似ても似つかない容姿へと変貌を遂げている。

image003

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

扁額には昭和10年と刻まれており、昭和初期には既に箕ヶ岩を含む周辺の地形改変が大幅に行われ、今日見られる旧道とは明治道を踏襲しているものの、正式には昭和道なのである。それでも箕ヶ岩隧道も竣工から70年を経た古豪ではあるが、コンクリの面構えに初代の面影などどこにもない。

image005

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

初代の竣工は明治一桁と1世紀以上も前の産物であるからして、実物が失われた今坑門及び坑内の様子を知る手掛かりは、ほぼ同時期に掘削され片側坑門のみ現存するチギリメン隧道より想像する他はない。と誰もが諦めかけたその時、吉報は思わぬ場所からもたらされた。箕ヶ岩隧道より10mほど離れた壁面に、何やら空洞のようなものが見えた。なんだなんだ?激薮を掻き分けた先で待ち構えていた光景に僕は思わず息を呑んだ。嘘だろ?

image007

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

これってまさかあれの事?そこに広がる空洞は幅が2.5m〜3m、高さは1.5mちょいしかなく、一般的な概念からすれば、車道のそれとは大きく食い違う。車高の低い自動車だけは支障なく通れそうだが、人の通行を差し置いた設計の隧道など見た事も聞いた事もない。だがそこは現実に若干屈まねば歩けぬほどの高さしかなく、とてもじゃないが日本人の平均的身長の大人では全く用を成さない。

image009

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

まさか明治初期における日本人の平均的身長が100cmだったとか?それでは酷民総捕らえられた宇宙人ではないか!はっはーん、なるほど!子供専用隧道か?やっぱ普通に考えて防空壕?いや、防空壕にしては広過ぎるし、内部で枝分かれしているとか、生活臭を感じさせる戦時中に使われた陶器類の破片などが散乱している訳でもない。何より幼少の頃遊び場を近所の砂場より防空壕を主戦場としていた僕の目がNOと判定を下した。

image011

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

足元の土は恐らく後年になって投げ込まれたもので、本来の高さはチギリメンと同等のはず。それを裏付けるようにこの洞門は旧国道の路上よりも、数段高い位置に口を開けている。つまり本来の高さは2.5m以上あったはずで、当初馬車道として開削されたこの穴も、役目を終える昭和10年頃には自動車を通していたのはほぼ間違いない。

image013

ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

やはりこれは折り紙付きの初代の洞門なのだ。内部は緩やかなカーブを描き、中間付近の天井は丸みを帯びておらず平らに近いという、チギリメンとは大きく異なる特徴を持つ初代箕ヶ岩隧道。残念ながら片側はチギリメン同様完全封鎖されているが、片方の坑門が21世紀まで生き長らえたのは奇跡に近い。竣工から実に135年目を迎えたR213の祖、その真実の姿が今ここに甦ったのである。

トップサイトナビゲーター管理人について感想・お問い合わせ