ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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県道3志度山川線(109)(6)

★★★

 

県道3志度山川線(109)の取扱説明書

徳島の内陸部から四国の玄関口である高松へと抜ける道は国道を始めグレードの異なる様々な県道が抜けていて、どの道を選択しようか迷うほどである。トンネルで一気に抜けるもよし、四国らしい狭路をチョイスするもよし。だがそこには1本だけババが用意されているのだ。何も知らずに主要県道という肩書きだけを信じ、この路線へと足を踏み入れたならば、高松に到着した頃あなたは強くて逞しい事業戦士ドボダムと化している事だろう。

 

県道3志度山川線(109峠)

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

ここは県境でも何でもない場所であり、峠らしからぬ単なる通過点に過ぎない。なのにこの賑やかさはいったい何なんだ?石碑はひとつだけに留まらなかった。そこにはこう記されている。「いつも通りマルキューの前で待ち合わせ、するとやって来たのはガングロからヤマンバへと進化した彼女だった。頼む、誰かこいつの進化を止めてくれ」そこには非常に深刻な彼氏の悩みが

県道3志度山川線(109峠)

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

赤裸々に綴られていた。その裏側にはこう記されている。「いつも通りあゆメイクの彼女はやって来た。シングルベッドで一晩を明かし、普段なら寝坊するはずの僕は、休日出勤の為珍しく彼女より少しだけ早く起きた。寝返りを打つ彼女。そこにいたのは紛れもないローリー寺西であった。教訓:あゆメイクが崩れるとローリー寺西となる。合唱」これまた深刻な事態ですな。109峠に石碑を

県道3志度山川線(109峠)

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

建立するだけの事はある。それも本場堺の職人さんの手によって一文字ずつ丹精に彫り上げられた逸品である。その台座さえ立派な石碑は、パッと見峠道の開通記念碑ではあるようだが、いまいち不自然に思うのは、これほどの石碑をわざわざ用意するほどの、偉業だったであろう県道の開通が、何故いまだに砂利道のまま放置されているのかという点だ。峠の石碑を見る限り、この

県道3志度山川線(109峠)

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

道路は開通を強く望まれたようにしか感じられない。それが地域住民の悲願であったのか、単に行政が計画案を遂行したかっただけなのかは定かでないが、いずれにせよこの道の開削するにあたり、自衛隊に要請したのは確かなようである。ではいったいどの部分を要請したのだろうか?この109峠はヘアピンコーナーにて、まだ上へと続いているのだ。但し県道は直進である事が

県道3志度山川線(109峠)

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

ゲートの様子から判断できる。自衛隊はこの109峠付近の全てを開削したのだろうか?それとも徳島側よりこの峠へ至るヘアピンは昔から車道が存在し、峠より先の香川県へドッキングさせる部分を新たに開削たという事なのだろうか?まあそのあたりは地元の古老の証言を得られれば確実なのだが、麓の最終集落からは如何せん距離が離れ過ぎていて、道中には人家のひとつも無く、

県道3志度山川線(109峠)

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

ましてやここを通り過ぎ行く車両もいない今、それを解き明かす手立てなどない。伊沢谷川の上流部より始まる砂利道区間の全てが自衛隊による開削だとしたら、109峠より更に上へと続く道は何なのだろう?もしかしてレーダーとか中継所のような施設があるのだろうか?実はこの時ケツカッチンにつき、支線の確認を逃している。支線の先まで突っ込んでいれば何か掴めたかも

県道3志度山川線(109峠)

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

知れないと思うと非常に残念でならない。峠名の由来であるが、109部隊が開削にあたった事からそのまま名付けられたようだが、あまりにもストレート過ぎやしないか?昭和36年完成とされているから比較的新しい峠であると言えよう。だがその名称は市販に地図に掲載される事はなかった。

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