ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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古坂峠(1

★★★

 

古坂峠の取扱説明書

2006年の幕開けと共に古坂峠に関する情報が日増しに届くようになり、報告書のノルマ達成に向けてクラッシュ寸前にあった僕の周囲はざわついていた。何やら関西勢の猛者が総力結集しての一大イベントだそうで、ある人はそれを古坂フェステバルと呼んだ。やがて僕の手が及ばない遠い彼の地で祭りは盛大に催され、気が付けば事態は収束、まるで一過性のブーム宜しく沈静化した古坂峠に人影は無かった。この峠でいったい何があったのか?僕はどうしてもここで起こった事の全てをこの目で確かめずにはいられず、遅ればせながら未踏の地へ初出陣と相成った。そこで目にしたのは偉大なる先人達の汗の結晶であった。この報告書は古坂峠の再開通に関わった全ての方へ感謝を込めてお贈りするレポートである。

 

古坂峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

古坂峠?全く聞き覚えのない峠だ。それにパッとせんな。最初の感想は無味無臭に近い極めてありきたりな峠名に、ドライな反応を示した僕。場所はどこよ?兵庫県道12号線川西篠山線?知らんな〜通らんな〜以上!確かに市販の地図からは城東トンネルに古坂峠の文字が拾える。しかし近年デジタル化され数々の眠っていた廃道群が浮かび上がってきた中で、古坂峠に車線は

古坂峠

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

おろか、点線道さえ描かれてはいない。同ページ内の石原坂奥野々坂は、旧道がまるで現役であるかのように描かれていた為、早期から調査に着手できた。だが古坂峠にはそれらしき記載が改訂前も後もない。机上調査はせずに地図一本で勝負する僕にとって、古坂峠とは非常に厄介な代物なのだ。本来ならば気にも留めなかったであろう古坂峠であったが、フェステバルが

古坂峠

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

開催された年になんとか足を運べた事はラッキーとしか言い様がない。何故ならばそこには先人達の残した偉大なる轍跡に助けられる場面が決して少なくはなかったからだ。古坂峠再開通式典には間に合わなかったものの、僕は只今からひとりぼっちの再開通式典に臨むのである。初めての地ではあるが、それと思わしき旧道との分岐点はすぐに理解した。目印など無いに等しいが、

古坂峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

商工会の設置した「押し合いへしあい殴り合い、言い合い馴れ合い腋アイアイ」の標語が掲げられている。それを目印にすれば恐らく見逃す事はないだろう。尤もここ以外に分岐など無いのだが。峠の前後は人家が皆無の深山にあって、追い越し禁止のセンターラインが付く立派な二車線とは驚きだが、決してその線形はえばれたものではない。右に左にカーブを描き、やっとの思いで

古坂峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

城東トンネルへと辿り着き、500m弱のトンネルを抜ければ、再びそれは繰り返される。いつ新トンネルを突いてもおかしくはない難所で、その道の旧道とあらば、いかほどの悪路であるかは言わずもがな。急カーブの連続とは言え、一応は二車線の舗装路にて通された新道に対し、旧道はあまりにもみすぼらしかった。分岐からその兆候はすぐに現れた。これが旧道?そこはよく整地

古坂峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

されたフラットダートで、所謂今日見られる一般的な未舗装林道と大差ない路面状況にあった。もしもこれが古坂峠の旧道ならば、旧道は最後の最後まで砂利道だった事になる。(←当たりめーだ)月並な見解ではあるが、ここ重要。県道川西篠山線は文字通り川西と篠山を結んでいる訳だが、今でこそ大阪への通勤圏となったこの界隈も、一昔前は押しも押されもせぬド田舎で、僅か

古坂峠

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

一車線の細々と続く砂利道の山道が、激しく大阪市内を遠ざけていたのは間違いない。近隣の道路網も大なり小なり同じような状況にあったはずだが、そのどれもがアスファルトの下敷きとなり、往年の様子をいささかも感じられないほど改良が施される中にあって、古坂峠に残された旧道は当時の様子を知る上で大変貴重な存在だ。

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