ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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古坂峠(3

★★★

 

古坂峠の取扱説明書

2006年の幕開けと共に古坂峠に関する情報が日増しに届くようになり、報告書のノルマ達成に向けてクラッシュ寸前にあった僕の周囲はざわついていた。何やら関西勢の猛者が総力結集しての一大イベントだそうで、ある人はそれを古坂フェステバルと呼んだ。やがて僕の手が及ばない遠い彼の地で祭りは盛大に催され、気が付けば事態は収束、まるで一過性のブーム宜しく沈静化した古坂峠に人影は無かった。この峠でいったい何があったのか?僕はどうしてもここで起こった事の全てをこの目で確かめずにはいられず、遅ればせながら未踏の地へ初出陣と相成った。そこで目にしたのは偉大なる先人達の汗の結晶であった。この報告書は古坂峠の再開通に関わった全ての方へ感謝を込めてお贈りするレポートである。

 

古坂峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

いつの間にか現道の騒音は消え失せ、小鳥のさえずりだけが、耳に心地良く響き渡っている。二つ目の大きなカーブを迎えた頃には、現道と旧道の目指すべき場所の高低差は、ほぼ決定的なものになっていた。視界前方にあるはずの鞍部はまだ見えぬが、勾配のきつさがいよいよ際立ってきた事で、この先が隧道による峰越えではない事を理解した。結果的に僕はこの場所で大きく

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空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

時間を割く訳だが、それは決してこのコーナーが、大型車同士の離合を許す幅員であるという理由だけではない。コーナーの膨らみ、その先に見る車止めは、先程見た年代物とは違い、明らかに近現代でよく見られる道路構造物のそれである。それは石ではなくコンクリートブロックで、崖下を覗き込めば壁面も完全なコンクリの膜によって覆われていた。間違いない、これはまだ旧道が

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お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

現役時代の頃の遺物で、廃れ具合から新道にバトンを手渡す以前に改修を受けたものと想像される。それが城東トンネル開通以前の昭和30〜40年代にかけてのものであると仮定するならば、やはり先程目にした極めて珍しい形状の縁石は、昭和初期の構造物か或いはそれ以前から存在した石垣に、後年になって手が加えられたものと考えるのが自然だ。当路線が生粋の林道で

古坂峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

あるならば違った見方も出来ようが、この峠にそれ相応の歴史がある事は、机上調査をせずとも現場の空気を読めば分かる。コーナーの先では木枠で覆われた法面が待っていた。これは旧道化した後に施されたものと思われる。一部木枠の無い箇所には石垣の姿が見られた。ほとんどが苔に覆われているが、地肌が露出している部分は青みがかっている。本来ならばその石垣が

古坂峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

延々と続いているのだが、崩壊の危険性があるのか木枠にて補強され、ほとんどが覆い隠されてしまっているのは少々残念であった。だが裏を返せば、それは今でも定期的なメンテナンスが施されているという事。それがなければとっくの昔に自然に還っていたと思われる。関係者に感謝しつつ、薄暗い人工杉の森の中を突き進む。ここを日常的に自動車が通っていた頃は、周囲の

古坂峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

杉もまだ丈が低く、視界も開けたであろう古坂峠。次にそれらが切り倒されるまでは、全くと言っていいほど景色には恵まれない。ただ脱輪しても谷底に転落する事はなく、杉は車止めとしても一役買っている。そこは全く人工物が見られない箇所であった。開削以来一度も人工物を必要としなかったという事は、この峠道において最も安定した場所とも言い換えられる。極端に言って

古坂峠

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

しまえば、山の斜面を削り取っただけの道、それがかつての県道。まるで馬車道を改修したかのような古道としての風格さえ漂う古坂峠。そう、僕の中では早くもこの道の前身は馬車道ではないかという仮説が大勢を占めていたのだ。いよいよその核心部分と思われる切り通しへと迫る。

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