ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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古坂峠(4

★★★

 

古坂峠の取扱説明書

2006年の幕開けと共に古坂峠に関する情報が日増しに届くようになり、報告書のノルマ達成に向けてクラッシュ寸前にあった僕の周囲はざわついていた。何やら関西勢の猛者が総力結集しての一大イベントだそうで、ある人はそれを古坂フェステバルと呼んだ。やがて僕の手が及ばない遠い彼の地で祭りは盛大に催され、気が付けば事態は収束、まるで一過性のブーム宜しく沈静化した古坂峠に人影は無かった。この峠でいったい何があったのか?僕はどうしてもここで起こった事の全てをこの目で確かめずにはいられず、遅ればせながら未踏の地へ初出陣と相成った。そこで目にしたのは偉大なる先人達の汗の結晶であった。この報告書は古坂峠の再開通に関わった全ての方へ感謝を込めてお贈りするレポートである。

 

古坂峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

恐らく最後と思われるカーブが右に弧を描き、目的の場所へと僕を誘う。あのカーブを曲がればそれはきっと・・・。真っ二つに割られた見事な切り通しは、僕の期待を裏切らない形でそこにあった。廃止後実に三十数年が経過した今も、ポシャる事なくそこにかつて車道が存在した証を、祭りの後久しく現れた珍客に精一杯伝えていた。路上の一部がススキに覆われながらも、大人しい

古坂峠

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

部類に入る切り通しは、開削当時の原型を良く留めているように見受けられる。切り通しの中心部へと潜り込めば、そこには良く整地された極上のフラットダートが待ち構えていた。人工的に掘り割られた稜線の壁面は左右でその形状が異なり、一方は岩盤を削り取っただけの荒々しい垂直壁、もう一方は軟らかそうな土質の層で、傾斜は緩いがその脆さゆえ路面から僅かばかりの高さが、

古坂峠

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

コンクリによって補強されている。その低いコンクリ壁を辿ると、なんと同じ高さの石垣に姿を変えたではないか。乱れ積みというほど玉石を適当に重ねた訳でもなく、かと言って均等に切り出された石を正確に積み重ねたものでもない。一見すると下辺から不均等に重ねられつつも、上辺を見ればそれは極めて水平に近い形でまとめられている。強度とデザインを兼ね備えた城壁と比べられ

古坂峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

たらひとたまりもないが、当時ここの施工に従事した労働者の思いをどうしても無視できず、これはこれでひとつの芸術的作品として評価されても良いだろうし、何よりも道路史や土木史のみならず、当時の文化を知る上で大変貴重な有形遺産であると考えられるが、やはりこのまま放置され続けてしまうのだろうか。突き出る倒木の群が今も必要最低限の処理に留まっている事を如実に

古坂峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

物語っているが、目立った崩壊も確認されず、ほんの少し有志達が集うだけで、古坂峠は今にも息を吹き返しそうな状況にあった。普通車同士が何とかすれ違えるほどの狭い幅員で切り通しを抜ければ、そこにはかつて茶屋があったのではないかと思われるほどの更地が広がっていた。今でこそ植林された杉が密集し、視界前方のほぼ全てを遮るが、それら全てがカットされた暁には、

古坂峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

下界の様子が手に取るように分かるはず。峠までは今でも四輪の行き来があるらしく、道中に見られる杉の間伐や枝打ち状況から、古坂峠はしっかりと管理されている事が分かる。この状況が続けば事は簡単だった。今日多くの峠で見られるように、片面のみ破棄されるケースは決して珍しくない。ここ古坂峠もご他聞に漏れず、これより先がメインデッシュであり、数多くの挑戦者がここで

古坂峠

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

雄叫びをあげたであろう筋金入りの廃道が待ち構えているのだ。何せ一般的な地図には決して掲載される事の無いいにしえの道だ。下りへと転じた路面はこれまでとは一転し、枯れ枝と土砂の分厚い層に覆われたブラウンの絨毯と化す。僕は早速帰り支度を始めた。命は大切にせんとな。

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