ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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古坂峠(5

★★★

 

古坂峠の取扱説明書

2006年の幕開けと共に古坂峠に関する情報が日増しに届くようになり、報告書のノルマ達成に向けてクラッシュ寸前にあった僕の周囲はざわついていた。何やら関西勢の猛者が総力結集しての一大イベントだそうで、ある人はそれを古坂フェステバルと呼んだ。やがて僕の手が及ばない遠い彼の地で祭りは盛大に催され、気が付けば事態は収束、まるで一過性のブーム宜しく沈静化した古坂峠に人影は無かった。この峠でいったい何があったのか?僕はどうしてもここで起こった事の全てをこの目で確かめずにはいられず、遅ればせながら未踏の地へ初出陣と相成った。そこで目にしたのは偉大なる先人達の汗の結晶であった。この報告書は古坂峠の再開通に関わった全ての方へ感謝を込めてお贈りするレポートである。

 

古坂峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

いよいよここからが本題だ。今もって四輪でさえ到達可能な峠までは、ぶっちゃけ単なるプロローグに過ぎない。林道慣れしている者ならば、いとも簡単にここまでやって来られるだろう。更に勢い余って峠を越えんとすべく、間髪入れずに下り始める者がいたとしても何等不思議ではない。実際に突如道が途絶しているでもなく、一車線の狭路は緩やかに下りへと転じ、それは見るからに

古坂峠

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

穏やかな表情で坦々と続いている。何も知らない挑戦者は、既に峠のサミットにおいて運命のゴングが鳴らされた事さえ気付かない。勿論ある程度の予備知識を持って参戦した僕でさえ、春はポカポカ汽車ポッポとも言うべきこの平穏な路面状況から、この先のおぞましい光景を想像するのは困難であった。最後の転回場所とも言うべき峠の更地。その端を境にして路面の配色は一変した。

古坂峠

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

一面に広がるブラウンの絨毯。それが相当長い年月をかけて、土砂や枯れ草が折り重なり分厚い層を形成する非人工的な表層である事はすぐに理解できた。登坂途中に見られる路面のほとんどはグレー一色に覆われ、それは今もって継ぎ足される砂利の層によって支配され、植物の侵食も瓦礫の山も勢力の拡大は許されない人の手によってコントロールされている、所謂生きた道

古坂峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

である。だがここにも新たな生命の息吹が感じられた。堆積した幾重にも積み重なる天然の表層は、植物にとって格好の棲家と化していた。程好く腐った良質の土壌には真っ先に苔が根を下ろす。ブラウンの絨毯に散在する苔の層は、特定の者だけに道を譲るも、ほとんどは大きく変化する事なく、長時間熟成によって織り成された別世界として新たな既成事実がそこに確立されていた

古坂峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

のである。人の手によって切り拓かれ、人の都合によって廃棄された道は、決して死の道などではなく、再び元の状態へ戻ろうとする、所謂再生への道を辿っていた。一旦人の手を離れた道は、加速度的に荒廃の度合いを増す。時には凄まじい程の破壊力によって、それは原型を留めぬ程木っ端微塵に砕かれ、跡形も無くなってしまう事も珍しくないが、そのような自然の猛威に晒される

古坂峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

事なく、古坂峠は独自の世界を形成していた。峠を越した途端に不意を突くようにして現れる一条のガードレール。それはまるで楽譜に描かれる五線譜のようであった。そこに音符を掲げれば、今すぐにでも悲しい音色を奏でそうな錆び付いたガードレール。本来成すべき任務はとうの昔に終え、今はここがかつて車道であった事を伝える唯一の人工物として、そこに鎮座している。それは

古坂峠

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

無意味なオブジェとも、単なるガードレールの残骸とも捉えられる。だがそれはねじれた五線譜。古坂峠は目に見えぬ楽曲に乗って「のだめカンタービレ」ならぬ「メダカ釣ったー俺」→「メダカ食ったー俺」→「メダカ丼だーそれ」と時代の流れと共に、変幻自在な狂想曲を奏でるのだ。

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