ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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古坂峠(6

★★★

 

古坂峠の取扱説明書

2006年の幕開けと共に古坂峠に関する情報が日増しに届くようになり、報告書のノルマ達成に向けてクラッシュ寸前にあった僕の周囲はざわついていた。何やら関西勢の猛者が総力結集しての一大イベントだそうで、ある人はそれを古坂フェステバルと呼んだ。やがて僕の手が及ばない遠い彼の地で祭りは盛大に催され、気が付けば事態は収束、まるで一過性のブーム宜しく沈静化した古坂峠に人影は無かった。この峠でいったい何があったのか?僕はどうしてもここで起こった事の全てをこの目で確かめずにはいられず、遅ればせながら未踏の地へ初出陣と相成った。そこで目にしたのは偉大なる先人達の汗の結晶であった。この報告書は古坂峠の再開通に関わった全ての方へ感謝を込めてお贈りするレポートである。

 

古坂峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

それはあまりにも巨大なコンクリの塊であった。峠からの下り坂で勢いづいた車両が最初に迎える急カーブにそれは築かれた。慣性の法則に従順な鉄の塊は、逆らう事を知らない。また当時は逆らう術も無かった。ABS(アンチロックブレーキシステム)も付いて無い、TCS(トラクションコントロールシステム)も無い、それに何と言ってもその時代にCCBがいなかったのが致命的である。

古坂峠

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

ロマンティックが止まらないんだから車が止まる訳ねーじゃん。このあまりにも普遍的な法則を、当時ほとんどの人は全くと言っていいほど気付いてはいなかった。その重大な法則を80年代になって初めてCCBが世に問うた事で、ABSが普及したというのが僕の見解である。それまでは運転者の経験と勘だけが頼りで、勿論そこに重ステアリングを自在に操る腕力の差も大いに影響し、

古坂峠

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

峠道における安全運行の優劣、或いは生死を分ける決定的な要因は、車両ではなく運転手にそのほとんどが委ねられていたと考えられる。ちょっとしたミスが命取りになる峠道におけるハンドル操作。それは今も昔も大きく変わらないかも知れないが、発展途上にあった車両の性能を補う上で、転落防護壁の果たした役割は大きく、特に最も危険な箇所には肉厚のコンクリ塊が用意され

古坂峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

時にそれは曲がり切れなかった車両の加重を自らが支えた。またその存在によって危険箇所である事をドライバーに認知させ、それは暴走行為の抑止力にもなった。コンクリートブロックは尚も続いたが、それは道床の補強対策も兼ねていた。恐らく形容し難いほどの大規模な落盤に見舞われたのだろう。覗き込むとほぼ垂直に切り立つ壁面は優に5mはあろうかという高さで、それより

古坂峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

下方へと続く斜面も険しく、そこは古坂峠開削以来幾度かの改修を受けてきたに違いない。その後は平穏なトラバース区間となったが、それは長くは続かない。遂に現れた大規模な崩落現場。それは道幅の半分以上を埋め尽くし、これより先通行を許される車両は単車以下に制限され、事実上一般的な四輪による臨界点を迎えた。これまでにない緊張感に包まれるも、路面は再び

古坂峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

穏やかな表情を取り戻し、対向からいつ四輪が現れても不思議でない状況にあった。水先案内人であるガードレールがどこまでも僕を導き、視界を遮るものは枯れ枝程度の平和な状況が続いた。もしかしたらこのまま何事も無く抜け切れるのでは?そんな淡い期待を抱かせるには充分なシチュエーションで古坂峠は僕を迎え入れた。視界の利かぬ道中で現在位置を知る為に、錆び

古坂峠

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

付いたガードレールより身を乗り出して真下を覗き込む。そこは倒木のラッシュで、もしもそこに道路が敷かれていたならば、取り返しがつかぬほどの壊滅的な状況だ。凄いな〜。まるで他人事のように僕は呟いた。そこが長年に渡って単車さえも不通としていた、致命的な現場とも知らずに。

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