ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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古坂峠(7

★★★

 

古坂峠の取扱説明書

2006年の幕開けと共に古坂峠に関する情報が日増しに届くようになり、報告書のノルマ達成に向けてクラッシュ寸前にあった僕の周囲はざわついていた。何やら関西勢の猛者が総力結集しての一大イベントだそうで、ある人はそれを古坂フェステバルと呼んだ。やがて僕の手が及ばない遠い彼の地で祭りは盛大に催され、気が付けば事態は収束、まるで一過性のブーム宜しく沈静化した古坂峠に人影は無かった。この峠でいったい何があったのか?僕はどうしてもここで起こった事の全てをこの目で確かめずにはいられず、遅ればせながら未踏の地へ初出陣と相成った。そこで目にしたのは偉大なる先人達の汗の結晶であった。この報告書は古坂峠の再開通に関わった全ての方へ感謝を込めてお贈りするレポートである。

 

古坂峠

道路遺構の調査発掘専門サイト:ORRの道路調査報告書

丁度古坂フェステバルの真っ最中だったと記憶しているが、遠く離れた異郷の地で、独り黙々と報告書を作成している僕の所に、全く身に憶えのない事象での一報が届いた。それは掲示板の内外を問わず、複数人からもたらされた。要約するとこうなる。「へなりさん、古坂行かれました?」その時の僕はと言えば、古坂峠から遥か700kmも離れた遠隔地の、まるで独居房のような四畳半の

古坂峠

空前のスケールで贈る道路大全:ORRの道路調査報告書

片隅で、産卵を終えた鮭の如しヘロヘロになっていたのだ。そのような状況下で次々に寄せられる何とも不可解な現象。中には証拠写真まで添付されているものもあった。それがコレである。そいつは今でもそこに掲げられていた。風雨に晒され今では判読不能となっているが、そこには確かこう書かれていたと思う。「甦れ古坂峠ORR」俺行ってねーし、行った事ねーし、大体古坂峠って

古坂峠

お探しの道路がきっと見つかる:ORRの道路調査報告書

どこよ?それに紙とペンなんて持ち歩いてねーし、新聞紙を束ねる時に使う紐すら持ち歩いてねーし、よく見るとビニールで保護されてるし、でも濡れちゃって文字消えてるから、今じゃ読めねーし。当時は「はぁ?」と思ったが、僕は沈黙を守った。ORRを良しとする人が善意で掲げられたと好意的に捉えていますが、今度からは御自身の名前で掲げて下さいネ!今ではすっかり判読

古坂峠

羅針盤、それは地図とカーナビとORRの道路調査報告書

不能と化した自作のホワイトボード。現地へ赴くまでは、それが峠道における全道程の、一体どの辺に位置しているのかは、全くの未知数であったが、下り途中に掲げられたボードの位置は、大変重要な意味を持っていた。何故ならばボードを境に状況が一変するからだ。それより先の下りは目を覆いたくなるほどの猛烈な藪に支配されている。振り向けば今来た道など快適な散歩道に

古坂峠

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書

等しい。四輪を弾く惨劇に見舞われてはいるものの、それはまだ峠道全体を脅かすものではない。ボードより先は心臓に宜しくない風景が広がっていたが、そこには救いの手も差し伸べられていた。現道である。木々の隙間からは早くも城東トンネルを抜け出て来る車両の走行音が耳に届いた。普段ならば耳障りでしかない走行音も、こういった状況下では安心材料のひとつとなる。

古坂峠

ヘナリワンドットジェイピー ORRの道路調査報告書

現道は近い。それがすぐに目の前の惨状と相殺される訳ではないが、心拍数を下げ再び冷静さを取り戻す要因のひとつには成り得た。当初ボードは適当な場所に掲げられていると見られたが、違った。それは明らかな意図を持って掲げられていたのだ。ボードより先の凄まじい区間を切り拓けと。それはここへ来たる全ての者へ全知全能の神「お前が」(Oh my god)より送られた使者の

古坂峠

おはようからおやすみまでORRの道路調査報告書

通達であったのだ。となるとボードが掲げられたのは恐らく日曜日。シャララーラ シャラララーラ   シャララーラ シャラララーラ シャララーラ シャラララーラ シャララー シャララララー このまま どこか遠く 連れてってくれないか 君は 君こそは 日曜日よりの使者♪

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