ドライブ&ツーリングのネタ帳

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書 ODA ROAD RESEARCH

〜ツーリングマップルで訪ねる万の峠と億の道〜

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トップ>旧道データバンク>甲信越>山梨>>右左口峠/県道113号甲府精進湖線(うばぐちとうげ)の実走調査レポート

右左口峠(4)

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右左口峠4-1

◆右左口峠4−1:平成2年の地図ではダート国道表記

まずは左記の地図を御覧頂こう。これは平成2年(1990年)版の市販の地図で、甲府盆地の外れから精進湖にかけての道程を中心に切り抜いた図である。

甲府市内より南進する二重線は赤く染められ、所謂それは国道のそれを指示している。そのライン上に358と付されたおにぎりマークがある事から、富士外輪山を縦に割って入る路線が、国道358号線であるのは間違いない。但し二重線が赤く染まる区間はほんの一部に限られ、大方は黄色の二重線で表記されている。それが平成6年まで有料道路として供用されていた甲府精進湖有料道路である。

右左口峠4-2

◆右左口峠4−2:散見される改修跡が峠道の脆さを露呈

甲府精進湖有料道路

右左口トンネルと精進湖トンネルの二つのトンネルで南北を結ぶ高規格道路は、昭和46年に着工し同48年春に供用が開始され、平成6年の償還まで24年に亘り、南北を行き来するライダー&ドライバーに一時停止を促した。

当時は 右左口トンネルをA区間精進湖トンネルをB区間 とし、二つの料金所を設け、往来する車両に二度に渡る停止を求め料金を徴収していた。当時僕が愛用していたツーリングマップルには 自動二輪全線400円 原付全線60円 と記載されている。

右左口峠4-3

◆右左口峠4−3:沿道にはデリネーターがズラリと並ぶ

時の原付が甲府から富士五湖へと抜け出る場合、全線60円を必要とした。という事は単純に1区間のみの利用であれば30円という事になる。当時外輪山を貫通する道路として国道137号線の御坂トンネルも料金を徴収していた。その額も同じく30円である。但し御坂峠はトンネル1本につき、30円のみで外輪山を越せる。

30円と言えば、うまい棒3本に相当する。それが二区間で二度の停止による時間的ロスの上に、うまい棒6本分に匹敵する計60円も徴収されるのである。これを易々と支払えるのは、ヒルズ族クラスのリッチマン以外に考えられない。

右左口峠4-4

◆右左口峠4−4:転落防止ブロックとコンクリ噴付の法面

原付ならまだいいが、これが普通車ともなれば結構な額だ。有史以来車道峠が存在しないB区間は仕方ないにしても、A区間だけでも浮かせたい、そう考える者は確実に存在した。当時ホンダCRM80でこの界隈の峠を探索していた僕も、陽が沈もうが時間に追われようが、そんな事は関係無しに無料の右左口峠を目指したくちだ。

峠道は夜間でもそこそこの通行量があり、旧道とはいえ安全面では全く手が抜けない。かくて沿道にはデリネーターがこれでもか!というくらいテンコ盛りに設置された。ところで砂利道にも拘らず、何故時の人は右左口峠を目指したのか?

右左口峠4-5

◆右左口峠4−5:昭和臭漂う石積みの法面

それは峠道が持つブランド力に引き寄せられたからに他ならない。まさか平成という時代になって、東京から2時間圏内の超有名レジャースポットのエリア内に、砂利道の国道が存在するなんて一体全体誰が想像できるであろうか?

だが現実として、甲府精進湖有料道路が償還を迎え国道指定される平成6年まで、右左口峠が歴とした国道であり、昭和50年に国道指定されて以来平成6年までの19年間に亘り、たった今越してきた砂利道が国道であり続けたのだ。今一度1コマ目の地図を見てほしい。右左口宿から松原にかけて薄い朱色でなぞられているのがお分かり頂けるはず。

右左口峠4-6

◆右左口峠4−6:古関集落が目前に迫る

本来は真っ赤に染めるべき区間が薄められている。国道にしても県道にしても未舗装区間を薄く塗る事でドライバーに注意を促す、その点でこの地図の愛用者はまだ救われた。では僕が愛用するツーリングマップルはどうだろう?なんと峠道全線が真っ赤っか、つまり一般的な国道と何等変わらぬ表記で、平然と記載されていたのだ。悪路という一言を添えて。

ダート国道を承知の上で突っ込んでいた僕はまだしも、悪路って何?という迷える子羊が、ネットで情報収集など夢のまた夢という時代では、自分の目で確かめてみる以外に疑問を解消する術がなく、意図せず進入した者もいたに違いない。

右左口峠4-7

◆右左口峠4−7:宿場の面影を残す分岐点

お巡りさんは言った、中道往還が急速に寂れたのは明治になってからの事で、国鉄身延線の開通と富士川の整備、その後富士川沿いに国道が開通した事で、それまで主要道として担ってきた中道往還の役目は終わったと。

しばらく眠りについていた右左口峠は、モータリゼーションの波に乗り、かねてから地元の要望であった外輪山縦貫道として昭和43年装いも新たに車道として息を吹き返す。県道甲府精進湖線として再スタートを切り、後に国道の肩書まで得た中道往還右左口峠。今では静寂に包まれている。

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