ドライブ&ツーリングのネタ帳

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書 ODA ROAD RESEARCH

〜ツーリングマップルで訪ねる万の峠と億の道〜

トップ 国道 県道 里道 林道 旧道 酷道 廃道 隧道 更新履歴 ボンバス 地図 アマゾン 歴史の道 掲示板 サイトナビ お問い合わせ

トップ>旧道データバンク>北海道(道央)>石狩支庁>送毛峠の実走調査レポート

送毛峠()

★★★★

送毛峠9-1

◆送毛峠9−1:完成して間もない全線砂利道の新国道

船便に引導を渡したのが、国道231号線ではなく当時北海道道24号滝川浜益線を名乗った現国道451号線であったのは意外であるが、陸路の歴史を紐解けば納得せざるを得ない。何故なら道道24号線は、海岸道路など夢のまた夢という時代から供用される最も信頼の置ける車道だからだ。

浜益村は国道231号線が影も形もない時代から内地との繋がりを持ち、人物共に密な交易が図られていた。そのパイプ役となったのが四番川経由の道道である。そこには滝川⇔浜益間のバス路線が既に確立されており、実績ある道が後から付けられた国道に先行する形で舗装化されたのは当然の理である。

送毛峠9-2

◆送毛峠9−2:急ピッチで工事が進む送毛新道

道道24号線の大躍進は、虫の息だった海上交通を粉砕し過去のものとした。だが数年後に自身の存在が脅かされようとは想像すらできなかったに違いない。長らく続いた陸海公共交通機関共存の平和な時代は幕を閉じ、いよいよ生き残りを懸けた激戦の火蓋が切って落とされた。陸路戦国時代の到来である。

時は昭和35年送毛山道開削の勢いそのままに、国道231号線の延伸工事は途切れる事なく濃昼へと繋がり、札幌方面からも厚田の先まで国道は迫っていた。残すは濃昼山道を迂回する海岸道路のトンネル掘削のみ。そこで村民は確信したに違いない。これならいけるぞと。山が動いたのはその頃である。

送毛峠9-3

◆送毛峠9−3:もうじき役目を終える初代のトンネル

古くから浜益村は、道内で函館と甲乙付け難い都市小樽との関係を密にしてきた。その事は浜益⇔小樽間の航路が、到達時間のレコードを更新し続けてきた歴史を見れば一目瞭然である。だが戦後になると勢力図は一変する。函館と小樽の二強時代は終わりを告げ、札幌の一強時代に突入していたのである。

浜益村民の関心は最早小樽でも滝川でもなかった。ブラックホールの如し道内の人口を呑み込み、間もなく人口百万に手が届こうかという肥大化一途の巨大都市札幌との接続を夢見た。送毛山道は浜益村と札幌を一本の線で結ぶという壮大な計画の第一ステップであり、山道の開通は悲願成就への源泉となった。

送毛峠9-4

◆送毛峠9−4:初代送毛トンネルの銘板

昭和30年代になると市街地を中心に各地で道路の舗装化が始まる。浜益村も国道231号線と国道451号線が交わる重要な交点から舗装化に着手し、滝川への道道全線と雄冬方面の北部が先行して舗装された。最優先とされるはずの送毛山道の舗装化が見送られた事で、海岸道路の夢は遠退いたかに見えた。

しかし全ては計算づくであった。札幌と浜益の間に立ちはだかる最大の障害を取り除くべく、水面下で調査が進められていた送毛トンネルの掘削にゴーサインが出たのだ。送毛山道の舗装化が後回しにされた理由、それは長大トンネルの開通が約束されていたからに他ならない。

送毛峠9-5

◆送毛峠9−5:送毛川を跨ぐ橋梁は昭和52年に付替

昭和37年には全線舗装化が完了し、冬期の完全除雪で通年通行を実現した道道24号線は、長年のライバルであり盟友でもあった船便を土俵際へと追い詰め、自身の出世と引き換えに海上交通の息の根を止めた。これにより滝川⇔浜益のバス路線が唯一の公共交通機関となり、一時期はドル箱路線となった。

だがそれも長くは続かない。昭和39年には送毛峠を越え濃昼までの路線バスが開通し、その勢いで同46年には札幌⇔浜益の直通バスの運行を許してしまう。これにより滝川方面の利用客が激減し、あれよあれよという間に四番川経由の路線は廃止に追い込まれてしまう。10年弱の短い黄金期であった。

送毛峠9-6

◆送毛峠9−6:数年後には旧旧国道となる送毛山道

代わって時代の要請に応え台頭したのは他でもない海岸線である。浜益村民の眼中にあるのは巨大都市札幌のみで、最早滝川は過去のものでしかなかった。札幌直通便開設時はまだ大半が砂利敷きであったが、将来性を見越せば七曲りの難所も我慢できたし、隣人からの貰いゲロも良き思い出と割り切れた。

昭和52年11月、延長1901mにも及ぶ待望の長大トンネルが、送毛峠の直下に産声を上げる。これにより直ちに国道231号線の新道へのルート変更が成され、同時に路線バスも峠越えからトンネル経由へと切り替えられ、最大のネックは解消された。この日を以て送毛峠の路線バスは伝説と化した。

送毛峠9-7

◆送毛峠9−7:新旧国道の交点

現在浜益経由のバス路線には、毎日運行の特急はぼろ号と、季節運行の日本海るもい号の2系統が設定されている。共に送毛トンネルを駆け抜け、送毛山道などどこ吹く風である。ただ数年後の両者は第三の路で峠を越しているに違いない。新送毛トンネルの開通が目前に迫っているのだ。

恐らく現在のトンネルは封鎖されるだろう。だが我々は忘れない。送毛峠に風穴を開けたのは初代のトンネルであり、その礎を築いたのは七曲の難所を克服した札幌浜益直通便“特急千の風号”、そしてゲロバスを承知の上で乗り込んだ乗客である事を。

送毛峠8へ戻る

トップ 国道 県道 里道 林道 旧道 酷道 廃道 隧道 更新履歴 ボンバス 地図 アマゾン 歴史の道 掲示板 サイトナビ お問い合わせ