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トップ>旧道データバンク>北海道(道央)>石狩支庁>送毛峠の実走調査レポート

送毛峠()

★★★★

送毛峠8-1

◆送毛峠8−1:山道が現役時代の市販の地図

現在浜益を経由する札幌直通便は2本で、いずれも送毛トンネルを経由するが、その礎を築いたのは送毛峠の鞍を跨ぐ札幌⇔浜益直通便であり、その先鞭を付けた浜益⇔濃昼の路線バスである。バスの歴史は浜益村の昭和史そのものであり、送毛山道を語る上で外す事のできない重要な史実だ。

但し浜益村の全公共交通機関を総括すれば、国道231号線の部分開通に伴う路線バス網の村内拡充と引き換えに消滅したもうひとつの公共交通機関についても触れておかねばなるまい。鉄道の通じない浜益村で、長らく村民の足として活躍してきた海上交通、所謂船便の存在である。

送毛峠8-2

◆送毛峠8−2:舗装化された七曲りの難所

浜益の海上交易は陸路よりも歴史は古く、松前藩時代はもとより先住民族であるアイヌの時代まで遡る。陸上には獣道すら存在しないと称される時代に、厚田⇔濃昼⇔浜益の間には既に航路が確立されていた。

但し常時航行が可能なのは厚田⇔濃昼間に限られ、漕いでも漕いでも前に進まず、酷い時は漕げば漕ぐほどバックするバックトゥーザファイヤー現象に見舞われる浜益⇔濃昼間は全く当てにならず、古来より海の男に離岸流よりも強烈と恐れられていた。その原因が浜益と濃昼の間に立ちはだかる愛冠岬で、そこで風の流れが大きく変わるのだという。

送毛峠8-3

◆送毛峠8−3:厚田側にも設置される観光案内板

愛冠岬の一件は当時の幕府を動かし、それまでいまいち信頼の置けない海路主体であった輸送ルートに、新たな選択肢が加わる事となる。その時開削されたのが濃昼と送毛の両山道で、今日の国道の基礎となった山道は、江戸年間に端を発する歴史道であったのだ。

山道の完成により海上が穏やかな日は海路、時化の場合は陸路と選択肢が増えた事で、互いが補完しあう形で輸送の精度は格段に増した。但し山道はある致命的な問題を抱えていた。それが積雪による通行止である。雪の前には無抵抗の山道は、否応なしに冬季通行止を余儀なくされた。

送毛峠8-4

◆送毛峠8−4:山道では貴重な直線区

山道の冬季寸断に海路の冬季運休、石狩湾の海岸線途絶状態は、なんと昭和10年まで続くのである。

一方海路における貨客船の歴史は明治中期に端を発する。明治の半ばに出現した蒸気船は、浜益⇔小樽間を約9時間で結んだ。それを速いと見るか遅いとみるかは人それぞれであろうが、大正年間になると船便における圧倒的なスピード感が我々現代人にも伝わるように変化する。明治中期に9時間を要した浜益⇔小樽間が大正初期には5時間、末期では3時間半と大幅なスピードアップを図り、開設時と比し到達時間を1/3へと縮小する飛躍的な進化を遂げたのである。

送毛峠8-5

◆送毛峠8−5:厚田側にも設置される青看

時短という最大の課題は克服した。ただその過程で乗り心地に関する苦情は黙殺された。当時の貨客船には客室というものが無く、乗客は荷物の上に座っての船旅を強いられ、船酔い者続出の船便は、通称ゲロ船と呼ばれていた。

当時滝川⇔浜益間の直通バスが運行を始めていたが、滝川まで山道を4時間も走るため、人々は山でマーライオンか海でマーライオンかの選択を迫られた。その苦痛が解消されたのは昭和11年の事である。この年船舶の大型化が図られ、船内に初めて客室が備わると供に、村民の悲願であった冬期運行が実現し、一大利便を呈すのである。

送毛峠8-6

◆送毛峠8−6:送毛集落へ続く道との交点

しかし陸路も負けてはいなかった。戦後になると滝川方面への拡幅改良及び舗装化が成され、気が付けば陸路は滝川まで2時間と短縮されていた。更に航路を窮地へと追い込んだのが、昭和37年に開始される冬期の完全除雪である。滝川への通年通行は海上交通に致命的なダメージを与えた。

それでも航路は踏ん張った。昭和34年に投入した新造船は、小樽⇔浜益間を海路史上最速の2時間半で結ぶ。しかし貨物のトラック便への切り替え並びに旅客のバス便への流出に歯止めがかからず、国道231号線の全通を待たずして昭和39年の営業を最後に、船便は海上から姿を消した。

送毛峠8-7

◆送毛峠8−7:冬季はこの交点より先が通行止

海路の切り札として投入された“はまます丸”は見事に撃沈した。丘に上がった海の男達はそれぞれ次なる場所を求めて浜益を後にしたという。当地きっての最後の豪華客船はまます丸の船長は、防波堤より日本海へと沈み行く夕陽を見つめながら、鼻歌交じりにこう呟いたという。

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