ドライブ&ツーリングのネタ帳

www.henari1.jp ORRの道路調査報告書 ODA ROAD RESEARCH

〜道路格闘家へなりと闘う鉄馬ヘナリワンの軌跡〜

トップ 国道 県道 里道 林道 旧道 酷道 廃道 隧道 更新履歴 ボンバス 地図 アマゾン 歴史の道 掲示板 サイトナビ お問い合わせ

トップ>旧道電撃ネットワーク>北海道(道央)>空知支庁>多度志峠の実走調査レポート

多度志峠()

★★★

多度志峠(たどしとうげ)の概況

氷点下41度を記録したなまらしばれる北海道第二の都市旭川。そこより湯内峠を挟み支庁界を隔てたお隣の深川市に、現役最後まで砂利道のまま旧道と化した峠道がある。平成の大合併により多度志町の名が消えて久しいが、道道875号多度志一己線には町名を配した新トンネルが2000年に誕生し、かつての酷道が嘘のような快走路に生まれ変わっている。ほんの数年前まで車両の行き来すら難儀した多度志峠。存在意義を問われかねない一見不要とも思える道道875号線の峠道。その傍らに放置される想定外の遺物に、業界の枠を超えた奥深い路の遍歴を見るのである。

多度志峠3-1

◆ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

狙いを定めて飛び込んだ左に弧を描く浅い堀割は、いかにもという線形で充分な手応えが感じられた。

丘状の山肌を均しただけの簡素な造りの路線に初めて登場した大掛かりな開削部分であるが、何故かそこからは古道臭が一切感じ取れない。そればかりか、路線バスが通った仮説さえ無謀な林道上がりの匂いがした。もっと言ってしまえば、そこには生活臭のひとつも漂っておらず、現役時代の往来状況が全くイメージできないのである。

多度志峠3-2

◆ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

一体全体何なんだこの違和感は?

その疑問符に一組の老夫婦が答えてくれた。森の中で網状ハットを被り蜂の巣箱をいじる人影を見付け、作業中と知りつつも一声かけてみた。すると以下のような答えが返ってきた。

この路線の歴史はそう古くはない。路線バスはおろか大型車が通り抜けたのを一度も見た事がない。狭い砂利道に冬期通行止という使い勝手の悪さも重なり、現役時代も現在と然程変わらぬ交通量であった。

多度志峠3-3

◆ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

老夫婦の証言は更に続くが、想定外の爆弾発言が飛び出したのはその直後の事だ。

以前は汽車で行き来していたから・・・

・・・なぬ?

僕は慌てて手持ちの地図を開いた。深川では函館本線より留萌本線が枝分かれしているが、それは北海道道281号深川多度志線の中山峠を越した遥か先の東方を南北に上下し、ここ多度志峠との関係は限りなく希薄だ。

多度志峠3-4

◆ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

まさか廃線か?

そう、そのまさかだ。多度志峠には峠越えの車道トンネルが開通する遥か以前に、初代の隧道が口を開け、それはなんと平成7年まで平然と汽車を通していたというのだ。

時は大正13年、深川−多度志間に雨龍線と名乗る軽便鉄道が開業する。昭和6年には幌加内線と改名し、延伸工事の勢いは止まる事を知らず、同16年ついに同線は名寄へと達し、全長121kmにも及ぶ深名線が誕生する。

多度志峠3-5

◆ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

だが晩年は日本一の不採算路線という不名誉な称号を得るまでに収支が悪化し、1995年にJRバスによる代行運転へと切り替えられた。ところがバス輸送転換当初のJRバスは、極狭未舗装のここ北海道道875号多度志一已線を嫌って、山ひとつ挟んで並走する北海道道281号深川多度志線の中山峠を経由する事となった。

そこである問題が浮上する。本来ならば代替路線という性格上、深名線に沿った北海道道875号多度志一已線を走るのが筋だ。でなければ深名線の廃止を受け入れた沿線住民が救われず、代替の意味を成さない。

多度志峠3-6

◆ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

だがここまで御覧頂いてお分りのように、見通しも利かない完全一車線の砂利道を、大型バスが定期的に往来するには余りにも酷であり、当時は見送らざるを得なかったという事情があった。

但しJRバスが代替路線という宿命を背負った命綱である以上、そのまま住民の声を黙殺する訳にはゆかない。そこでJRバスは苦肉の策に打って出る。それが多度志と上多度志の間をピストン輸送するという無駄とも思える輸送形態であった。こうして多度志隧道を抜けた直後の幌加内側に住む地域住民は、孤立を免れたのである。

多度志峠3-7

◆ドライブ&ツーリングのネタ帳ORR

現道道の多度志トンネルが開通した現在は、かつての鉄路跡を忠実になぞり、JRバスは5年越しに多度志峠を潜る真の代替路線を確立した。

最期まで大型車の通行を許さなかった道道は、チェーンゲートが張られている現状から推察するに、この先も舗装化される可能性は低く、往時の姿を留める事になろう。因みに道道のかつてのライバルであり盟友の深名線、その痕跡は見る影もないが、多度志トンネルの傍らには大正期のレンガ隧道が口を開け、コアな鉄道ファンを魅了し続けている。

多度志峠2へ戻る

トップ 国道 県道 里道 林道 旧道 酷道 廃道 隧道 更新履歴 ボンバス 地図 アマゾン 歴史の道 掲示板 サイトナビ お問い合わせ