ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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小阪峠(旧国道42号線/熊野街道)(2)

★★★

 

小阪峠(旧国道42号線/熊野街道)

つい最近まで僕の中で、それは単なる未開通県道のしょーもない峠として認識されていた。だが実はその裏に恐るべき真実が隠されている事など知る由もなく、この峠の手の平で踊らされる無邪気な僕がいた。普段は大人しい顔をしている小阪峠、その遍歴を一度紐解けば実に大胆な姿があらわとなり、まるで本当の姿などおくびにも出さない小悪魔のような小阪峠は、僕を大いに翻弄させた。時の流れに身を任せ、変幻自在に姿形を変える妖艶な小阪峠は、日を追う毎に僕を虜にし、気が付けば僕は小阪尚輝と改名していた。たわわに実った〜早紀ちゃんの胸に〜小阪尚輝が〜嵌った〜(ウルルン風)カットカットカット!それじゃぁプルルン滞在記でしょーが。テイク2:たわわに実った〜早紀ちゃんの胸に〜保坂尚カットカットカット!それじゃぁノンフィクションでしょーが。テイク3:小阪峠で〜バスも走った名道に〜小阪尚輝が〜出会った〜♪

 

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残念ながらこの場所で車道同士の離合は叶わない。とても狭い幅員のまま大馬口のバス停を迎えるのである。ただT字に差し掛かる直前の最終カーブに家一軒分の更地があり、もしもこの辺一帯が当時より大きく改変していないと仮定するならば、そこは家屋が占有し目の前に余裕をもって確保された幅広の砂利道は、評議峠と大馬口間に唯一存在する離合ポイントであったと考えられるのだ。

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接続する滝向林道は恐らく新設道路で、当時は獣道に毛が生えたような人がやっとの山道が、細々と大馬集落とこのバス停とを結んでいたと思われる。従ってT字部分はその昔単なる直線の砂利道であり、人家の前にバス停がポツンと立っていて、車両同士の離合は叶わなかった。そんなイメージが浮かんで来る。その狭さの極みは大馬口バス停跡を横切った直前に出現する切り通しで決定的となる。

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この浅くもなく深くもない中途半端な高さの掘割は、もうそれだけでひとつの峠として成立していた。高さ10mにも満たない盛り上がりではあるけれど、その小さな起伏が全ての車両を鼠返しにしてしまうのだ。人の足や牛馬であれば難なく越せる小山も、車両にとっては絶望的な高さにあった。だからこそ車両を苦もなく通さんが為に、明治になってメスが入れられるや否や、ここに巨大な掘割が出現したのである。

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荷車、馬車、人力車の通行だけを想定すれば、今以上に狭い幅員であったかも知れない。現在は大型車の通行を許すまでに拡幅されているが、これは後にトラックやバスが走り出す事で、それに合わせて道幅を広げたのではないか。最終的な形としてそこは完全一車線の離合不能な狭路として今に至り、交互通行を余儀なくされるランクの低いレベルを維持したまま、肩書きを県道へと移管され、現在も大馬集落の生活道路として細々と利用されている。

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その昔は未舗装林道と舗装林道、それに三桁県道がドッキングするT字路に隣接する名も無き切り通しとばかり思っていたが、そうではなかった。僕は見落としていた、この道のグレードを指し示す貴重な物的証拠を。僅かに残るそれはほとんど掘割の壁面に同化し、苔生した表面に植物が根を下ろす事によって、すっかり遠い過去の遺物と化していた。そう、石垣である。

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地形図だけを見れば、木本と飛鳥の間には評議峠と小阪峠だけが描かれ、それは等高線と比しても納得の行くものであるが、ここ大馬口に立ちはだかる壁を切り崩した通路も、その存在無くして決して車両など通せぬ点で、峠と呼べる立派な切り通しである事は強調しておきたい。現に僕は初戦でこの切り通しを小阪峠とばかり思っていたのだ。

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次に現れる小阪峠よりもよっぽど峠らしいこの大馬口の切り通しに、僕は何度も何度も何度も何度も振り向いた。いつしか僕はその光景を目の当たりにした現地住民より、ちょっと振り向いて見ただけの異星人と呼ばれるようになった。大馬口で〜名も無き峠に〜小阪尚輝が〜出会った〜♪バスは小阪峠へ向けて走り出す。

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