ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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小阪峠(旧国道42号線/熊野街道)(3)

★★★

 

小阪峠(旧国道42号線/熊野街道)

つい最近まで僕の中で、それは単なる未開通県道のしょーもない峠として認識されていた。だが実はその裏に恐るべき真実が隠されている事など知る由もなく、この峠の手の平で踊らされる無邪気な僕がいた。普段は大人しい顔をしている小阪峠、その遍歴を一度紐解けば実に大胆な姿があらわとなり、まるで本当の姿などおくびにも出さない小悪魔のような小阪峠は、僕を大いに翻弄させた。時の流れに身を任せ、変幻自在に姿形を変える妖艶な小阪峠は、日を追う毎に僕を虜にし、気が付けば僕は小阪尚輝と改名していた。たわわに実った〜早紀ちゃんの胸に〜小阪尚輝が〜嵌った〜(ウルルン風)カットカットカット!それじゃぁプルルン滞在記でしょーが。テイク2:たわわに実った〜早紀ちゃんの胸に〜保坂尚カットカットカット!それじゃぁノンフィクションでしょーが。テイク3:小阪峠で〜バスも走った名道に〜小阪尚輝が〜出会った〜♪

 

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相変わらずボンバスの車内では、みんな尾鷲に行きたいか〜!ニューヨークへ行きたいか〜!と熱意のこもった車掌の呼び声に、その日その場限りの赤の他人である乗客が一致団結し、車内は異常な熱気に包まれていた。大馬口から乗り込んだ乗客も、危険防止の観点から義務としてシートベルトとウルトラハットの着用を迫られ、長いものに巻かれた。大馬口の切り通しを抜けると緩い左カーブだ。

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そこは現在普通車同士の離合ポイントとなっているが、その昔も同じ場所で対向車を交わしていたと思われる。またそこからは作業道が右に枝を延ばしているが、そこもかつての道路ではなく、住居跡だった可能性がある。今では通る者も忘れた頃にやって来るような有様で、ひっそりと静まり返った長い直線路は、まるで神社の参道のようだ。

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杉並木の幹はそれほど太くない事から、戦後に植樹されたもののようであるが、時は丁度小阪評議峠経由から佐田坂新道へと切り替わる時期と重なる。高度経済成長とは無縁の、まるでここだけが時代に取り残され、時が止まったかのような錯覚を覚える過去の残像を色濃く残した狭路。それをずっと黙ったまま見つめてきた杉並木。

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かつては木製の電柱が設置されたであろう場所には、立派なコンクリ製の電柱がズラリと立ち並び、若干景観を損ねている気はするが、かつてそこにボンバスが轍を刻んだ証は随所に垣間見られ、僕は今この場所で歴史に刻み込まれた覆しようのない事実を、生々しく手に取るように感じている。そこは現代の一般常識からは大きく外れるものの、ボンバスの運行を否定するには説得力に欠けた。緩やかに弧を描く線形は、紛れもない大型車両を通すそれだ。

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現在のR42の交通量をそのままそっくり当て嵌めれば路線バス運行説に激しく矛盾が生じる。だが僕は当時をよく知る現地の古老より貴重な証言を授かった。当時は自動車と言えば、バスか消防車かトラックの事を指し、自家用車というのはよっぽど珍しい存在であったという。つまりこのような狭路で対向車を意識すると言っても、時代背景から自家用自動車は限りなく除外して考えねばならない。

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つまりこの道が紀伊半島を周回する自動車道として、その交通を一手に引き受けていたとは言え、それは現代からは想像も付かぬほどの微々たる交通量であったと考えられるのだ。信じられないかも知れないが、ボンバスが交わすべき相手は、自動車よりもむしろ大八車や荷車であったと考えるのが自然だ。夜逃屋本舗の記録によれば、昭和中期まで夜逃げの足として長きに渡り君臨していたのが、荷車であったという。

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そう、自動車を用いてスティービーが舌を巻くほどスピーディーに夜逃げが可能となったのは、大橋巨泉氏が11PMで朝丘雪路さんの巨乳ぶりを見て、思わずボインと口走った頃である。バスとボインと夜逃げ、まるで部屋とワイシャツと私ばりのナイスなコンビネーションで畳み掛け、円く収めた所でボンバスはいよいよ小阪峠へと滑り込む。

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