ORRの道路調査報告書:全国の廃道隧道酷道旧道林道を個人が実走調査したレビュー

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迫間峠(2)

★★

 

迫間峠の前説

英虞湾の入り組んだ地形という立地条件の厳しい地域のライフラインを確保すべく重要な任務を任された海沿いの3桁国道。現在急ピッチで整備が進められているが、そこには酷道時代の残骸が数多く残され、この界隈に根を下ろす人々が、いかに過酷な通行を強いられていたかが垣間見られる。中でも一際異彩を放つのが迫間峠だ。地図を見れば何とも不思議な道筋を辿っており、そこには一般的な峠の遍歴が通用しなさそうなのだ。やはり現地へ赴き真相解明に努めるしかなさそうだ。一路現地へ急行した。

 

迫間峠2

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迫間隧道両坑口前には開閉式のゲートが設置されているが、取材当日はゲートオープンであった。それが意味する所は、一時代は主役を担い賑やかだったこの道は、特別な場合を除いて使われる事のない、役目を終えた過去の道という扱いである。隧道を抜けると右側にやや大きめの石碑が建立されている。

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まあ例の如く解読不能な文字が羅列され、それに付き合っていたら日が暮れそうな勢いなので、解読は専門家にお任せするとして、他の物に目を向ければ、左側には巨樹が2本真っ直ぐに天を仰いでいる。胴回りからして迫間隧道竣工当時のものか、もっと樹齢を重ねたものなのかも知れない。その2本以外はどう見ても若木のようで、意図的にその2本だけが切り残されたようだ。

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ここが峠である事を示すシンボル的存在の巨樹は、今後も伐採される事なくどっしりと根を下ろし、迫間隧道の行く末を見つめてゆくのだろう。現在の坑門手前は未整備につき必要以上に狭く感じられるが、実際は対向車を楽に交わせるだけのスペースが用意されている。一部では隧道内部での離合も可能だが、流石に凹凸の激しいテボッチャー区間での離合は、飛び出した岩盤に擦りそうで、現役時代は坑門前で対向車をやり過ごしたと考えるのが自然だ。

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尤も当時この路線が旧国道とは言え、どのくらいの交通量を誇ったかは定かでないが、現道の交通量を見る限り、そう多くはなかったはずで、迫間隧道付近ですれ違う事自体が珍しい事だったのかも知れない。道路脇には倒木が端に寄せられ、最低限の管理が現在も成されている事は確認できた。少し下ると街道筋を彷彿とさせる人為的に配された道路脇に均等に並ぶ巨樹を見て思わず立ち止まる。

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ここは現道に対する旧道である。そこは迫間隧道によって通されている。それは恐らく昭和初期の竣工である。しかし何故かこの道には街道の香りがほのかに漂うのである。一里塚のような確証級の物証を発見した訳ではない。単車のスピードだとどうしても細かい情報を全て拾い上げる事は不可能だし、そこまでしていたら全日本を網羅するという目標達成も難しいだろう。

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あくまで場の雰囲気から察するに、この道が昭和初期に開削されたものとは思えなかった。それは地図を眺めている時からずっと疑問に思っていた事と現地の様子とが噛み合い、ひとつの結論に達せざるを得なかった。それは迫間隧道明治竣工説である。現在我々が見ている迫間隧道はその形状から、昭和初期のものに間違いない。しかしそれは改修後の姿なのではないか。

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実はもっと以前からテボッチャーの状態で使われていたものではないのか?現道へと合流する地点で、草刈をしている爺さんがいたので、一段落するのを待って、僕はその疑問を爺さんにぶつけてみた。その仮説は見事に的中した。迫間隧道は昭和初期に大改修を受け、それまでは行き止まりの道であったと。行き止まり?この話は三浦峠へと続く。

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